SSブログ

清張(5)『謀略朝鮮戦争』を読んで~ [読書・言葉備忘録]

macarther3_1.jpg 『日本の黒い霧』文庫下巻の最終章『謀略朝鮮戦争』を読んだ。まず小生の幼き頃を記す。昭和20年(1945)8月15日の終戦時は乳飲み子。昭和22年5月3日、日本国(平和)憲法施行。しゃべり始めの頃。ここは大事ゆえ九条を記す。

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

(二)「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

 平和憲法施行から幾年か経った今頃の季節の記憶。近所の道端で、姉らと糸を通した針で、散った桜の花びらを連ねていると、ジープから降りた米兵らが覗き込みにきた。

 昭和25年(1950)6月、朝鮮戦争勃発。日本の平和憲法施行から3年目にして理想は崩れた。共産圏脅威から国家警察予備隊(昭和29年に自衛隊)創設。昭和29年、サンフランシスコ講和条約調印で米国の日本占領が終わって安全保障条約調印。

 朝鮮戦争は38度線を越えた北朝鮮に、韓国軍は兵器・軍事物資を置いたまま敗走。3日後にソウルを占領し、南の釜山まで迫った。(追記:4月10日の池上彰のテレビ番組で、島民には内緒も、対馬が最終防衛線になると米軍が準備していたと説明していた)。ここで米軍が戦闘機1000機の援護で艦船300隻、兵力5万で仁川上陸でソウル奪還。これで終わりと思えば、今度は中国20万と米兵20万の正面衝突。またも「米陸軍史上最大の敗北」。再びソウルが占拠された。米軍は膨大な資材を注ぎ込んでソウル奪還。昭和28年(1953)7月、休戦成立。

 朝日新聞調べでは、朝鮮戦争に投入した兵力は国連軍80万(米軍35万、韓国軍40万、各国他5万)。共産軍は中国・北朝鮮で100万とか。前線が北~南移動で両軍兵士と市民の犠牲者は、正確な数字把握はないも膨大と思われる。「北朝鮮の実力は中国そのもの。対中国戦へ」と主張したマッカーサーは解任された。

 朝鮮戦争当時、小生は6~9歳か。何も知らずに中学へ。日本史の授業で「焦土と化した日本は〝朝鮮戦争特需〟で力強く立ち直った」と教師の説明。その時に憲法や自衛隊の話はなかったように記憶する。

 同書には第二次大戦後の米ソ対立、38度線の半島分断、韓国の政治状況、米軍内の権力構造、悲惨な戦禍、また旧日本軍人の関与などが記されていたが、そもそもは日本の植民地化があった。

 清張は38度線が共産圏との防波堤。その防御円の中心に日本がある。米国は日本国民へ絶え間なく共産勢力の恐怖を与え続けることで防御を強固にする必要が肝心になったと記した。だが、これで終わったワケではない。

 今も韓国は不安定だし、北朝鮮や中国も不気味な動きがあり、日本も安倍政権の集団自衛権はじめの安保法案可決、そして軍事費増強、憲法改正、厭な右翼化傾向、南西諸島の防波堤強化策も進んでいる。

 政治に疎い小生だが、これだけはハッキリ言える。今の国会議員らは余りにお粗末で、彼らに任せていたら、またとんでもないことになりかねないと。世界は今〝自国ファースト〟流行りで、日本は〝米国ファースト〟のようでもある。世界も日本も思慮を欠いた政治家らによって〝成熟〟とは真逆の方向に動き出しているような気がしてならない。


コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。