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清張(4)純文学、推理小説から~ [読書・言葉備忘録]

seicyo46sai2_1.jpg 森史郎『松本清張への召集令状』(文集新書)を読む。清張さんじゃないが〝立ってくるもの〟がなく途中で放棄した。放棄とキーボードを叩けば「伯耆」も出る。

 「私の父は伯耆の山村で生まれた。中国山脈の脊梁に近い山奥である」。こう書き出されるのが私小説風『父系の指』。同作は清張死去(82歳)の3年後、平成7年(1995)にテレビドラマでギャラクシー賞、芸術祭作品賞受賞とか。

 期待したが、凡そ半分は『半生の記』と同じで、そこにフィクションが加えられた内容。執筆年を見れば『父系の指』は昭和30年で、『半生の記』は昭和38年。最初が私小説で、後にフィクション部分を集大成しての『半生の記』だろうか。

 これは同じく私小説風『河西電気出張所』(給仕時代の勤務先は川北電気小倉出張所)もそうで、半分が『半生の記』と同じ。また三人称科『泥炭地』を読めば、今度は〝河東電気小倉出張所〟。先に『半生の記』を読んだ者にとっては「いいかげんにしてくれ」と思ってしまう。

 小説仕立てゆえ、例えば社屋が元料理屋で畳に事務机とかはわかるも、やはり面白さ、新鮮さに欠ける。同テーマを「フィクションで書く・ノンフィクションで書く」の問題含み。清張さん、試行錯誤で悩み抜いている姿が見える。

 芥川賞受賞作『或る「小倉日記」伝』も実在人物より一回り若く設定の虚構で構成。翌年発表の『菊枕』も、すでに田辺聖子『花衣ぬぐやまつわる わが愛の杉田久女』(文庫上・下巻の長編)を読んでいた小生には次頁をめくる気も失せた。

 画家評伝『岸田劉生晩景』を読みたく、その前に書かれた岸田劉生モデルの短編も読んだが〝モデルとの距離の置き方〟にえらく苦労しているなぁと思った。(昭和38年、中央公論社『日本の文学』大全集に三島由紀夫の〝文体もない〟等の反対で収載洩れ。文体だけではなく、かなり未成熟だったと記せば生意気だろうか)

 清張さん、この辺から「推理小説」へ方向転換して人気作家に躍り出るが、この辺の問題は抱えたまま。半藤一利はこんな内容を記していた。

 「小説にフィクション部分を入れると、調査結果で判明した幾多の事実もフィクションと見られる恐れがでてくる。事実の重みを直視していると、絵空事をまぜながら真実を描くという小説なるものが、ばかばかしくも生ぬるく思えてくる。かくして松本清張はノンフィクションというジャンルを意識するようになった」

 以上から、小生は清張の「純文学」を放棄、加えて娯楽も欲していないゆえ「推理小説」群も放棄することにした。残るはノンフィクション系作品。『日本の黒い霧』シリーズ(確か「もく星」号遭難事件も収められていた)、『昭和史発掘』(全9巻)になろうか。それら読書はきっと歴史のお勉強ゆえ、ゆっくりと読んで行きましょう。

 挿絵は朝日新聞東京本社勤務になった昭和30、46歳頃の清張さん。漫画風タッチで描いてみた。純文学を捨て「推理小説」へと悩んでいるような。氏の特徴的な下唇は高齢になってからで、自身も「父も高齢になってからそうなった」と書いていた。


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