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ジャポニスム1:まずはじめに [北斎・広重・江漢他]

mabutiakiko2_1.jpg 俄か絵画好き隠居の「ジャポニスム」お勉強です。教科書に馬渕明子著『ジャポニスム 幻想の日本』(著者は現・国立西洋美術館館長?)を選んで、テーマ毎に別参考書も加えて自分流要約。まずは定義から。

 「ジャポニスム」は「ジャポネズリー=日本趣味、エキゾティック趣味」と違って、西洋絵画がルネッサンス以来の遠近法的な空間表現と価値観(キリスト教の)から、現代的表現、価値観を構築すべく日本美術からヒントを得て壁を打破しようとした作品。仏国辞書に「ジャポニスム」登場は1876年(明治九年)。期間は1860年(文久年間)頃から第一次世界大戦前後(1910~20年、明治四十三~大正九年)。

 日本美術の海外進出の経緯。最初は長崎出島のオランダ交易。そしてペリー艦隊と共に来日のドイツ人画家ヴィルヘルム・ハイネ(「ペリー総督横浜上陸の図」を描いた)の日本紹介出版物(ドイツ語版1856年・安政三年。翌年にフランス語版)。続いて各国外交官メンバーらが次々に日本紹介出版物を刊行。日本の風俗・景色紹介に『北斎漫画』や『富嶽百景』が活用された。

 1862年(文久二年)の「ロンドン万博」出品作選択は英国初代駐日総領事オールコック。彼は大著『大君の都』等を出版。蒐集した日本美術品も母国に持ち帰った。以後経緯は枚挙にきりなく省略。 

 過日のブログで「フェノロサはホイッスラーのジャポニスム作品の話題を知って日本に関心を抱き~」と記したが、ホイッスラーが『陶磁の國の姫君』を描いたのが1864年(文久四年)。その二年後にはマネが『エミール・ゾラの肖像』背景に浮世絵版画を描き込んでいた。その頃から日本ブームが始まっていたらしい。

 1867年(慶応三年)に「パリ万博」。パリの「カフェ・ゲルボワ」にマネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、シスレー、モネ、ピサロがたむろっていた。ルノワールは1871年(明治四年)に『花束と団扇のある静物』、翌年に『本を読むモネ夫人』。両作共に団扇入り。マネは1873年(明治六年)に『婦人と扇』。同年に第一回印象派展開催。モネが着物姿の西洋女性が振り向く『ラ・ジャポネーズ』を描いたのは1876年(明治九年)。

 パリ中心の日本ブームに若き印象派画家らが飛びついたが、著者・馬渕氏は「この頃はまだ〝ジャポネズリー(日本趣味)段階。エキゾチック演出に屏風、扇子、団扇、着物、陶器、版画などを描き込んだに過ぎず」と記していた。(続く)

 

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