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ジャポニスム13:荷風の風景画論 [北斎・広重・江漢他]

hirosiryogoku1_1.jpg 永井荷風の著作を読むと『絵本江戸土産』や『江戸名所図会』を愛読していたことがわかる。小生の古文書講座の初受講教材が、広重『絵本江戸土産』だった。そこから自習で西村重長版『絵本江戸土産』や長谷川雪旦『江戸名所図会』で〝崩し字〟勉強を続けた。

 池袋古本市でボロボロながら全作揃いの広重『狂歌入東海道五十三次』を入手し、狂歌解読の遊びもした。それらに関する荷風『江戸芸術論』より「浮世絵の山水画と江戸名所」を読む。

 浮世絵は風俗俳優の容姿を描くを以て本領としたが、時代の好尚(趣向・流行)や画工技能の円熟によって背景・遠景図が発達して山水風景画に至った。西洋画も人物背景から風景画へ発展は同じ。かくして葛飾北斎や広重の二大家が現れて江戸平民絵画史の掉尾を飾った、と説明。

 ここで荷風さん、天明年間の江戸に勃興した〝狂歌〟の影響が無視できぬと指摘。「江戸名所を課題とする狂歌の流行は、江戸名所の風景に対する都土人の愛好心を増進した。それと共に画工の風景に対する観察を鋭敏ならしめた。狂歌は絵本と摺物において、よく浮世絵の山水画を完成せしめた。(中略)天明寛政の平民美術についてはその勢力隠然狂歌にありしといふことを得べし」。この辺は「ジャポニスム」には負えぬ江戸の奥深さだな。

 「北斎も狂歌全盛の時代に出で〝浮絵〟の名所絵に写生の技を熟練せしめたる後、寛永八年頃より司馬江漢につきて西洋油絵の画風を研究し、これを自家特有の技術を加えて北斎一流の山水をつくり出せり」※浮絵=西洋の透視画法を用いて遠近法を強調して描いたもの=くぼみ絵、遠視画。奥村政信~歌川豊春にその作品が多い)

 荷風が記す北斎の山水画を制作順に記すと絵本『江都勝景一覧』(1799年・寛政十一年)、『東都遊』(1802年・享和二年)、『山復山』(1804年・文化元年)。次第に腕を磨いて『隅田川両岸一覧』(1806年・文化三年)へ。北斎の名所絵本はいづれも狂歌の賛をなしたるものにして、後年の『富嶽三十六景』(1823年~・文政六年~)、『諸国滝巡り』(1833年~・天保八年~)、『諸国名橋奇覧』(1833年~・天保六年~)へ至ったと説明。

 小生はこれらを所有せぬゆえ「国会図書館デジタルライブラリー」閲覧で確認した。『隅田川両岸一覧』は一作にほぼ二首の狂歌入り。『江都勝景一覧』は一作に四首ほどの狂歌挿入、『山復山』は「絵本狂歌山満多山」で各作に狂歌がびっしり挿入だった。「北斎の精緻なる写生は挿入せしその狂歌と相俟って、見るものをしておのづからその時代の雰囲気中にあるの思をなさしむ」

 一方、広重の山水画は『名所江戸百景』『江戸近郊八景』『東都名所』『江都勝景』『江戸高名会亭尽』『名所江戸坂尽』そして狂歌入りを含む『東海道五十三次』など。絵本は『江戸土産』(十巻)、『狂歌江戸名所図絵』(十六巻)など。広重作品についても詳細解説されているが、ここでは省略。

 荷風さんは北斎と広重の比較を「北斎は美麗なる漢字の形容詞を多く用ひたる紀行文の如く。広重はこまごまとまたなだらかに書流したる戯作者の文章の如し」と評していた。写真は露出が少なかろう広重『東都名所・両国夕すゞみ』三枚続の一枚。

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