SSブログ

ジャポニスム12:荷風の浮世絵鑑賞 [北斎・広重・江漢他]

maroawabi1_1.jpg 「ジャポニスム」最後は、やはり浮世絵の復習でしょう。永井荷風『江戸芸術論』より冒頭章「浮世絵の鑑賞」を読む。

 荷風さん、端から歎いていた。「(帰朝して我邦を見れば)西洋文明模倣の状況を窺ひ見るやに、余をして日本文華の末路を悲しましむるものあり」。広重や北斎の江戸名所絵で都会や近郊の風景を見つつ、専制時代の平民の生活や悲哀の美感を求めようとするも、西洋模倣ばかりになってしまった。日本人の歴史に対する精神を疑う他にないと~。

 浮世絵は政府の迫害(遠島や手鎖)を受けた町絵師らの功績。「木版摺りの紙質と顔料との結果によりて得たる特殊の色調と、その極めて狭少なる規模とによりて、寔に顕著なる特徴を有する美術たり。(中略)その色彩は皆褪めたる如く淡くして光沢なし」(ゴッホは浮世絵の何を見ていたのか!)

 油絵の色や筆致に画家の強い意思や主張があるのに比し、木版摺の色彩には専制時代の人心の反映だろう、その頼りなく悲しき色彩に哀訴の旋律が秘められている。絵師は日当たりの悪い横丁の借家で、畳の上で両脚を折り曲げ、火鉢で寒を凌ぎ、廂(ひさし)を打つ夜半の雨を聴きつつ、そんな虫けら同然の町人によって制作されたもの。

 ここで浮世絵技法の歴史を辿り「鈴木春信が初めて精巧なる木版彩色摺の法を発見。その錦絵には板画の優しき色調がある。比して肉筆画は朱、胡粉、墨等の顔料がそのままで生硬(せいこう)なる色彩の乱雑を感じる」 荷風反骨の独壇場へ続く~

 「官営の美術展覧場に厭しき画工ら虚名の鎬(しのぎ)を削れば、猜疑嫉妬の俗論轟々として沸くが如く(中略)~独り窃に浮世絵を取出して眺むれば、あゝ、春章・写楽・豊国は江戸盛期の演劇を眼前に髣髴たらしめ、歌麿・栄之は不夜城の歓楽に人を誘い、北斎・広重は閑雅なる市中の風景に遊ばしむ。予はこれに依って自ら慰むる処なしとせざるなり」

 最後にこう締めくくる。「浮世絵の生命は実に日本の風土と共に永劫なるべし。しかしてその傑出せる制作品は今や挙げて尽く海外に輸出せられたり。悲しからずや」 これ、大正二年正月の文章。荷風さん三十四歳。慶応義塾大学文科教授で「三田文学」編集の時。その三年後に大逆事件の囚人馬車が走る光景を見て、戯作者にまで身を沈めると隠棲生活に入った。

 ちなみに遠島は英一蝶、手鎖五十日の刑は喜多川歌麿、月麿、勝川春亭、勝川豊国ら。戯作者では山東京伝(絵師名は北尾政寅)と十辺舎一九も手鎖五十日の刑で、恋川春町は自刃し、蔦屋重三郎は身代半減の刑など。

 写真は荷風同著「ゴンクウルの歌麿及北斎伝」でも詳細説明の歌麿「鮑取り」の三枚続の一枚。裸(肉体)輪郭線が墨ではなく薄い朱色になっている。(続く)

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。