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ジャポニスム11:北斎とジャポニスム [北斎・広重・江漢他]

hokusaimonet2_1.jpg 馬渕明子著『ジャポニスム』最終章が「葛飾北斎とジャポニスム」。まず著者は、開国後の日本紹介に『北斎漫画』が好んで活用されたと記す。

 当初は北斎の名も知らずに使用だが、その名の初登場は英国人評論家が1865年(慶応元年)の日記に「二冊の北斎の本を買った」の記録あり。そして1868年の新聞各紙の美術記事に詳しく紹介されるようになって、同年記事に「画家クロード・モネは北斎の忠実なライバル」なる記述があったとか。

 北斎の絵がどう使われたか。最初は『北斎漫画』の動植物図(モチーフの宝庫)が、絵付け陶器の装飾に採用。絵画で最も早く北斎をヒントにしたのがドガ。ドガの絵には『北斎漫画』からのポーズ転用が多いと図版比較例多数。

 小生は昨年二月にブログ十四回シリーズで北斎『悪玉踊り』を女性に描き直して全模写遊びをしたが、冒頭のトンビ・ポーズもドガ『カフェ・コンセール「アンバサドゥール」で歌うベガ嬢』になっているとの図版説明には驚いた。ドガ自身は、そこまで活用しながら、北斎の詳細を知らなかったらしい。

 また『富嶽百景』はバカラ・クリスタルが『竹林の不二』を採用。花瓶や皿へ『富嶽三十六景/神奈川沖裏波』の転用など多数例あり。モネの1865年『サン=タドレスのテラス』は『五百羅漢寺さざゑ堂』の構図、他に『蘆中筏の不二』などの構図ヒントになった作品多数。

 そんな十年程を経て「芸術家・北斎」が次第にクローズアップ。その最初が1880年(明治十三年)のエドワード・S・モース『北斎論~近代日本絵画の開祖』。単行本では1896年(明治二十九年)のゴングール『北斎論』(飯島虚心の著作を林忠正が翻訳して提供)、ミシェル・ルヴァン『北斎試論』(東京帝国大フランス法教師として来日)などでやっと巨匠扱い。(欧州の北斎論については荷風『江戸芸術論』に詳しい)

 また北斎の『富嶽百景』『富嶽三十六景』など、同一モチーフを多角的に捉える試み(連作)も、従来西洋画にはなく、モネの『サン・ラザール駅』や『睡蓮』などの連作を生んだとか。またジャポニスムに無縁だったようなセザンヌも、1890年代には「サント=ヴィクトワール山」連作を試みている。かく北斎は欧州絵画の堅固な伝統からの脱皮に大いに手を貸した、と著者は同書を結んでいた。

 さて著者・馬渕明子をネット検索すると、現在は国立西洋美術館・館長らしく、この十月二十一日より同館で「北斎とジャポニスム」開催。楽しみです。写真は弊ブログ「狂歌入東海道」シリーズの最初に〝ゴッホ筆致の広重〟を描いたので、今回は英泉描く北斎像模写+モネ睡蓮のコラージュ。次回は永井荷風『江戸芸術論』の再読。

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