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黒潮小屋とナチスと三原山人気 [週末大島暮し]

kurosiokoya1_1.jpg 池袋西口「古本まつり」で「ジャポニスム」関連書の他に、面白い絵葉書を入手した。「黒潮に浮かぶ伊豆大島」15枚セット300円也。

 制作年の印字なし。何時頃のものだろうか。紙袋に「第五種郵便」。そこから昭和26年~五種廃止の昭和41年までの間と推測した。

 15枚の中で、小生まったくわからぬ「黒潮小屋」(写真)があった。これは何だろうか。島関連のネットで、大島公園の現・椿資料館が「元黒潮小屋」と知った。昔の「島の新聞」をひも解く。昭和十三年八月五日号に「太平洋を望む〝黒潮小屋〟大島公園に新登場」の見出し。

 今では想像もできぬ大仰なリード文に思わず笑った。「世界第二位の人口を誇る大東京六百三十万市民の健康・厚生のための近距離〝海の公園〟として~(中略)~面目も一新しやうと昨年から着々工事を急ぎつゝあったが、三年計画第一期工事中の王座たる山小屋が此のほど竣工したので、その一般的開放披露をかねた落成修祓式が去る一日同所で執行された」

 式次第レポート後に施設説明。「落成したロッジは木造平屋建百五十坪、赤瓦のモダンなコッテージ風の建物で、宿泊料は三十銭、休憩料十銭という大衆向きであるが、ベランダに出れば太平洋の黒潮が一望の彼方に見渡せる雄大な気分をそのまゝに『黒潮小屋』と井上公園課長が命名した御自慢のもの(以下略)」。

 同月廿五日発行号にも注目すべき記事。吉阪正隆氏『(大火の)元町復興計画』の項で記した「日独伊三国同盟でヒトラー・ユーゲント(ナチスの少年組織)一行三十名が、東京聯合少年団数百人と共に九月十八日に来島」の報。この東京少年団のなかに語学堪能の吉阪少年もいたのだろう。

 次に同年三月に大島人口の発表。「大島人口は一萬五百人。女性の方が百三十人多く〝女護の島〟の観を呈していると分析。大島の明日は限りなく輝いていた。

 それを裏付けるように、同記事隣に「春は大島へ、来るぞ!一萬人~」。「六日の日曜日に二千人、八日に東京のデパートガールが押しかけ、十日に東京の理髪業五、六十人を混えた四百名。その他に平日ながら四、五百人づつ流れ込む三原山ゴールドラッシュ。島内はまさにあふれるような超景気」とあった。

 昔の絵葉書「黒潮小屋」からのアレコレでした。島は今も輝き続けているだろうか。

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