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司馬江漢9:『蘭学事始』概略Ⅰ [北斎・広重・江漢他]

kaitaisinsyo_1.jpg 江漢はまだ江戸に戻って来そうもないので、その間に当時の蘭学事情をお勉強。『解体新書』の杉田玄白が83歳になって当時のことを記した『蘭学事始』を読む。

 まず菊池寛の同題を青空文庫で読んだが、一部クローズアップの小説化。ここでは中公クラシック刊『蘭学事始ほか』から私流概略です。

 まずは平戸出島のオランダ医師による外科手術を見様見真似の「阿蘭陀外科」西流、栗崎流、桂川流あり。それらは読み書きに至らず。八代将軍吉宗が蘭学勉強を許可し、江戸では野呂元丈と青木昆陽に勉強を命じた。

 備前中津藩養子で藩医・前野良沢が晩年の青木昆陽に師事。青木著『阿蘭文字略考』を覚えて長崎留学へ。百日昼夜一心の勉強。小浜藩の杉田玄白と中川淳庵は麹町在住で、長崎遊学の医師・安冨寄碩からアルファベットで「いろは47文字」を習った。

 前野良沢の許に蘭学を学ぶ杉田玄白、中川淳庵、桂川甫周、平賀源内、司馬江漢らが集った。オランダ通詞の元木良永、馬道良らも仲間に挙げておこうか。時は田沼意次時代で望遠鏡、暗室写真機、寒暖計などの西洋器機も続々入荷。

 当時はオランダ商館一行の長崎から江戸参府が恒例で、宿舎は日本橋・長崎屋。上記の蘭学仲間らがここに馳せ参じた。某日、商館長カランスが、彼らに知恵の輪仕掛けの袋を差し出し「開けられたら差し上げましょう」。誰もがお手上げも末席の源内がスラッと開けた。本草学の源内は、逆に竜骨を披露・贈呈で、カランスは源内に『禽獣譜』『生殖本草』『アイボンス貝譜』などを贈呈。その後に源内は長崎遊学。壊れたエレキテルを入手。

hokusainagasakiya_1.jpg 明和8年(1771)、長崎屋でオランダ人が人体解剖図『ターヘル・アナトミア』『カスパリュス・アナトミア』を譲ると言った。玄白は家老直訴でお金を工面して入手。その直後に千住で腑分けの一報。前野良沢、杉田玄白、中川淳庵、小杉玄適他計6名が立ち会った。オランダ解剖図に間違いなしと確認した。

 帰り道で良沢、玄白、淳庵、玄適は「せめて『タ-ヘル・アナトミア』一冊でも翻訳してみよう」と約束。以来、良沢宅で1ヵ月6,7回ペースで解読に精魂を傾けた。

 写真は『解体新書』の「解体図」小野田直武模写の扉カット(リンク第1巻の17頁)。写真下は北斎が享和2年(1802)に描いた『画本東都遊』の長崎屋(リンクの29頁)。オランダ商館の江戸参府は寛政2年から4年に1度になっているが、その際に描いたものだろう。画像は共に国立国会図書館デジタルコレクションより。 

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