国立競技場へ往復1万余歩(1) [千駄ヶ谷物語]
若い時分は山登り。ウォーキングにも凝って、さながら韋駄天のように都内疾駆。歩き過ぎて踵を痛めた。それでも今度は鳥撮りで野を歩き回った。「もう歩けないのか」と愕然とした。
脊椎狭窄症は、薬治療のみでらちが明かない。自己流ストレッチや腰痛体操。少しづつウォーキング。やがて5千歩、小1時間ほど歩けるようになった。
そんな矢先の昨年の大島暮しで「草アレルギー」。脛が酷くかぶれた。これは病院の薬一発で治ったが、汗をかくと顔や頭が痒くなった。これもアレルギーらしい。酷暑と汗を嫌って、夏の間はずっと冷房装置の部屋に閉じ籠った。歳を取るとワケ分からぬ病気が襲う。
涼しい季節になって、ウォーキングを再開。身体がすっかり衰えて、歩くのがえらく辛い。「歳をとると、こうして歩けなくなって行くんだ」と思った。まだ頑張れる歳だろう。歯を食いしばって自宅~新宿伊勢丹の往復、小1時間のウォーキングを再開。少しづつ背中の筋肉の辛さが薄らいでいった。
先日、伊勢丹を越えて歩き続けた。原宿手前を左折。国立能楽堂脇を経て東京体育館のドーム横へ。あれまぁ、眼前に国立競技場の骨格が聳えていたじゃないか(写真)。かく帰宅すれば1万数千歩。ここまで歩ければ「脊椎狭窄症」とは言えまいぞ。家に籠って衰えきっていた筋力も、どうにか復活と認識した。
話は変わるが、国立競技場の現場を観ていて、この現場の過労死の青年がいたことを思い出した。きっと五輪開幕時の華やかな最中にも、青年の死を思い出すだろう。NHKや電通でも青年が過労死。中小企業には、そうした事例がさらに多いような気もする。
人の営みの裏にはビッシリと罪が張り付いている。日本の歴史然り、日本の風景の至る所で、そんな罪が満ちている。なんだか千駄ヶ谷には〝いろんなこと〟が詰まっているような気がするので「千駄ヶ谷物語」に取り組んでみる。
2018-01-29 07:49
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