方丈記3:内乱と大災害を経て [鶉衣・方丈記他]
ところもかハらず、人もおほかれど、いにしへみし人ハ、二三十人が中に、わづかにひとりふたり也。あしたに死し、夕に生まるゝならひ(漢字表記すれば:所も変わらず、人も多かれど、古見し人は二三十人の中に、僅かに一人二人也、朝に死し、夕に生るゝ習ひ)。
たゞ水の泡に(似)にたりける。しらず生まれしぬる人、何方(いずかた)より来りて、いづかたへか去。又しらず、かりのやどり、誰が為に心を悩し、何によりてか、目をよろこばしむる(喜ぶのであろうかかわからない)。其あるじとすみかと、無常をあらそひ去様(さるさま)、いはば朝がほの露にことならず。あるひは露落て花残れり。残るといへども、朝日にかれぬ。或は花はしぼみて露猶消ず。消ずといへ共、夕をまつことなし。
「しらず(不知)」は倒置法。生まれ死ぬる人、何方より来たりて何方へ去る~を知らず。「かりのやど=仮の宿=この世のかりそめの宿」。
さて「保元の乱」(1156)から「平治の乱」(1159)の京内乱は、長明4歳~7歳の頃。そして安元3年(1177)に京都大火、治承4年(1180)に辻風(竜巻?)、同年6月に突然の福原遷都、養和元年(1181)から大飢饉、元暦2年(文治元年・1185年)に大地震。長明25歳~33歳の頃にこれら大災害が続いた。そして平家滅亡~。
長明ならずとも京の誰もがイヤというほど〝無常〟が身に染みたに違いない。『平家物語』冒頭の琵琶語りが聞こえてくるようです。~祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし たけき者も遂にはほころび 偏に風の前の塵に同じ~。『平家物語』は、『方丈記』を読んでの作のような感さえします。
『方丈記』は、ここから次々と息もつかせぬ大災害の述懐が続く。絵は平治物語<絵巻>第1軸、三条殿焼討巻より(国会図書館デジタルコレクション)
2018-02-09 06:26
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