仙寿院墓地下にトンネル(4) [千駄ヶ谷物語]
建築中の国立競技場の南角前、ビクタースタジオのある交差点から西を見れば眼前に「千駄ヶ谷トンネル」あり。
その上を通っている道路は? だがトンネル上は仙寿院の墓地と知って仰天した。これは東京オリンピックの際に、代々木選手村から国立競技場への道を造るべく、強引に墓地下にトンネルを掘って「オリンピック道路」にしたらしい。
ネット上では有名な〝心霊スポット〟。「埋葬された霊の皆さんが行政の暴挙に怒って化けて出る」と記されていた。ならば明治通り側からトンネル(写真上)をくぐってスタジオ入りして制作されたビクター音源は、霊の洗礼を受けて完成ってことになる。
仙寿院へは、同交差点角から入れる。寺院に迫るほどビッシリと詰め込まれたお墓。えらく窮屈な佇まいです。「法雲山仙寿院沿革」説明看板の創設由来は「江戸名所図会」に依るとして、それ以後の沿革説明文を読んでみる。
「江戸期において隆盛を誇った当山も明治維新の変革(廃仏毀釈?)によって衰微し、明治十八年には火災によって全山焼失。その後、里見日玞(体尊院日玞上人)により復興されるも、昭和十八年戦災で再び全山焼失した。更に昭和三十九年、東京オリンピックの道路工事などによって寺観は一変したが、昭和四十年には本堂、書院を再興。昭和五十九年には書院、客殿を増改築し、昔日には遠く及ばずながら復興し現在に至っている」
かくして「江戸名所図会」や「絵本江戸土産」に描かれた長閑で広い寺院情景とは雲泥の趣になった。しかもお墓の下に道路トンネルとは魂消た。東京オリンピックでは日本橋(川)の上に首都高速を走らせるなど、行政の無茶振りに呆れたが、ここにもそんな無茶があったかと改めてそう思った。
では次に、懐かく良き江戸時代の「仙寿院」へ思いを馳せるべく「江戸名所図会」と「絵本江戸土産」の世界へ。
2018-02-20 06:22
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