方丈記6:京都に辻風襲う [鶉衣・方丈記他]
北村優季著『平安京の災害史』には、平安遷都直後から頻繁に火災があったと列挙されていた。当初は高い建築物への落雷火災、小さい家の密集地での出火延焼(数百家規模)が多く、10世紀になると社会・政治不安から盗賊襲撃などの火災多く600家~700家規模に拡大。
以上から道路幅拡大、防火考慮の建物が作られるようになるも、その上での「太郎焼亡・次郎焼亡」だったと記す。その2年後の治承4年4月に「以仁王の乱」。騒動収まらぬ5月に今度は「辻風(竜巻?)」が京を襲った。長明は「以仁王の乱」のやるせない気持ちを「辻風」記述にぶつけた(らしい)。
又治承四年卯月廿九日のころ、中御門京極の程より、大なる辻風おこりて、六条わたりまでいかめしく吹けること侍き。三四町をかけて吹まくる間に、其中に籠れる家共、大なるもちいさきも一(ひとつ)としてやぶれざるはなし。さながらひらにたふれたるもあり。けた(桁)、はしら(柱)ばかり残れるも有。又門の上を吹はなちて四五町が程におき、又垣をふきはらひて隣とひとつになせり。いはんや家のうちのたから、かずをつくして空にあがり、檜皮ぶき板の類ひ、冬の木の葉のかぜに乱るるがごとし。塵を煙のごとくふきたてたれば、すべて目もみえず。をびたゞしくなりどよむ音に、物いふこゑも聞えず。地獄の業風なりとも、かくこそはとぞ覚へける。家の損亡せるのみならず、これをとりつくろふ間に、身をそこなひ、かたはづけるもの、かずを知らず。此風ひつじさるのかた(南南西)にうつり行て、おほくの人の嘆きをなせり。辻風はつねに吹く物なれど、かゝることやはある。たゞことに非ず、さるべき物のさとしかなどぞうたがひ侍りし。
●辻風は内裏東側辺りから南方向へ吹いた。●籠れる=囲まれている、包まれている。●「かくこそはとぞ覚へける」は岩波文庫では「かばかりにこそはとぞおぼゆる」=このくらいであろう。●かたはづけるもの=身体が不自由になった人。●ただごと=徒事(普通の事)。●さるべきものの(何事かの)さとし(神仏のお告げか)どぞ(強調)うたがひ侍り(怪しみ恐れた)
五味文彦著には「リアルな記述ゆえ、長明も被災していたのかもしれない」と記されていた。また辻風の文章は『平家物語』三之巻「辻風」も『方丈記』とほぼ似た文章。両著の関連性が興味深いです。そして京は心休む間もなく翌月6月2日に、な・なんと「福原遷都」です。
2018-02-22 08:38
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