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仙寿院の庭は〝新日暮里〟(5) [千駄ヶ谷物語]

senjyuin_1.jpg 江戸時代の長閑な風景を有した仙寿院へ思いを馳せたく「江戸名所図会」(第九編に収録)を読む。題は「仙寿院庭中」。 

 同所(国立競技場敷地内にあった寂光寺から)二丁ばかり西南の小川(渋谷川)を隔てて法雲山仙寿院といふ日蓮宗の寺の庭をしか呼べり。此辺の地勢をよび寺院の林泉の趣、谷中日暮里に似て頗る美観たり故に日暮里に相対して仮初(かりそめ)に新日暮里(ひぐらしのさと)と字せり。弥生の頃爛漫たる花の盛りには大(おほい)に群集せり。当山は紀州公御母堂養珠院日心大姊正保紀元甲申草創あり。当寺の鬼子母神は同大姊(し)甲の延嶺にして霊姊を感じ大野の辺の土中に得られて後、当寺開創落成の日安置ありしとなり~。

 絵は航空写真のような俯瞰図(ブログ画像ではなく、リングからフルサイズでご覧下さい。図中文字まではっきり読めます)。画面右下に流れるのは渋谷川(隠田川。今は暗渠になって外苑西通り)に沿った道を、多くの人が歩いている。参道には明治元年まで「お仲だんご」あり。お仲さんは美人で広重も描いたとか。

ehonsennjyu_1.jpg 惣門から坂を上って中門へ、本堂、庫裏。そして左側に鳥居。「神仏習合」だな。こちらに鬼子母神、大黒天、花山明神、稲荷弁天、芭蕉塚が描かれている。それら奥に、眺望良くて谷中の日暮里に似て称された「新日暮里」の文字あり。

 古地図を見ると、そこは寺院のやや西南西方向。境内4653坪(東京ドームの3分の1ほど)ゆえ、庭というより境内外の風景も含んで〝新日暮里〟なのだろう。

 一方『絵本江戸土産』には2点の絵。題名「青山・新日暮里」(第三巻に収録)は麗らかな風景を楽しむ人々が描かれ、題名「仙寿院」(第九巻にアップ画像収録)は、遠く富士山を望む絵が描かれている。「絵本江戸図会」「絵本江戸土産」共に国会図書館デジタルコレクションより。

 ここで新たな疑問。これらに描かれたお寺の絵は、概ね広大かつ美しい景観の境内が描かれているも、今の都内の寺はお墓ばかりで微塵の趣もない。これは何故かと考えてみた。「百万都市・江戸」に比し、現東京23区人口は921万人。東京都全体の人口は1300万人。亡くなる方=墓需要が膨大化しているってことだろう。このブログには広告が入るが、千駄ヶ谷のお寺を記し始めた途端に、千駄ヶ谷の寺の墓地販売広告が入るようになってビックリした。江戸は遥か夢のまた夢になり申した。

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