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方丈記7:突然の福原遷都 [鶉衣・方丈記他]

sentoa1_1.jpg 天災・火災があれば、人災もあった。京都辻風の翌月、平清盛による突然の福原遷都。長明はこう記していた。

 又おなじ年の水無月の比、にはかに都遷(うつり)侍りき。いと思ひの外なりし事也。大かた此京のはじめをきけば、嵯峨天皇の御時(おんとき)、都とさだまりにけるより後、すでに数百歳をへたり。ことにくてたやすくあらたまるべくもあらねば、これを世の人たやすからず、愁あへる様ことはりにも過たり。されどとかくいふかひなくて、御門より初(はじめ)たてまつりて、大臣公卿悉(ことごとく)移り給ひぬ。世につかふるほどの人、誰かひとり故郷に残らん。官位に思ひをかけ、主君の影をたのむ程の人は、一日なりともとく移らんとはげみあへり。ときをうしなひ世にあまされて、期する所なき者は、愁ながらとまりをり。軒をあらそひし人のすまゐ、日を経つゝ荒行家(あれゆくいゑ)はこぼたれて、淀川にうかび、地は目前(めのまえ)に畠となる。人の心皆あらたまりて、ただ馬鞍をのみをも(重)くす。牛車を用とする人なし。西南海の所領を願がひ、東北国の庄園をば好まず。

 うへぇ、この歳まで福原遷都なんぞ、知らなかった。若い時分に勉強せぬこと反省しきり。清盛は神戸港を見下ろす山麓の地を都にし、交易拡大による海洋国家樹立を目指したそうな。これで京は大混乱。主人の恩顧頼りの宮仕え、体制出世を望む人々は先を争うように新都に移り、出世に縁のない人(長明もそのひとり)だけが京に残った。取り残された淋しさを胸に、主を失った家々は荒れ、壊れた家の跡は畠になって行く様をみている。

 ●長岡京(京都より南西の日向市辺り)から平安京遷都は桓武天皇の縁暦3年(794)。●こぼたれて=毀(こほつ)=建物などをうちくずす、こわす。●牛車=貴族の乗り物。●東北国=源氏勢力の地。●一部を現代訳する。~こと(特別)にくて(面倒)だけれども改める他にない。世の人は容易ではなく、愁うのは言うまでもないことだが、そういうわけも行かず。御門を第一に奉る大臣公卿らは悉く移り、宮仕えの人は誰も故郷に残らない~。

 ★岩波文庫では「西南海の〝領所〟を願いて東北の庄園を好まず」が、この江戸本では「領所⇒〝所領〟」に変更されていた。『平家物語』関連書を読んでいたら、まったく別文だが〝領地〟は〝預所(あずかりどころ)〟の間違いではないか~なる記述があった。〝預所〟は下級荘官を指揮して土地、年貢などの管理にあたる荘官職、職名。小生はこの辺はまったく疎い。さて、正しい言葉はどれでしょうか。

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