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千駄ヶ谷5丁目で大島裏沙漠を見ゆ(6) [千駄ヶ谷物語]

uragousei.jpg 千駄ヶ谷散歩が続いています。

 先日は明治通りと甲州街道の交差点、新宿4丁目門の雷電稲荷奥「新宿4丁目ビジネス旅館街」看板(同地が〝木賃宿街〟だった大正12年頃に、林夫美子が1泊30銭で泊まったことは余りに有名)を見上げ、同交差点を渡って「天竜寺」の先、高島屋の反対側の路地に入った。

 そこは「新宿高校」校庭沿いで(既に番地は千駄ヶ谷6町目)、「新井白石終焉の地」看板手前、千駄ヶ谷5丁目辺りで〝緑の建物〟あり。壁に幾枚も貼られた写真を何気なく見れば、な・なんと!「伊豆大島・裏砂漠」で驚いた。

 改めて建物を見れば「若松プロダクション」の表札。亡き若松孝二監督のロケ写真展示で、大島・裏砂漠は「海燕ホテル・ブルー」のロケ現場だった。その他に同映画の雨の大島海岸ロケ写真もあり。

 散歩には思わぬ発見・出逢いがある。帰宅後に調べれば、同監督は2012年秋に76歳で亡くなっていた。同映画関連のネット情報を見れば、撮影協力で「おミッちゃん」こと佐々木美智子さんの名がクレジット。おミッチャンと云えばゴールデン街で、ゴールデン街の「渚ようこ」さんが若松監督の一周忌イベントで唄っている写真もあった。

 その一周忌イベントは、大島土砂災害の最中だったか。おミッちゃんとは島やゴールデン街で逢い、「渚さん」の店でも何度か呑んだこともあった。(追記:20018年10月1日の夕刊・訃報に、渚ようこさん9月28日に心不全のため逝去の記事があった)

 同映画は波浮の町並、裏砂漠、島の海岸など大島ロケ。関連インタビューのサイトでは若松監督が「僕は若い頃に伊豆大島で映画を3本撮ってるから、低予算で行ける伊豆大島がいいなぁと思った」という内容の談が紹介されていた。

 千駄ヶ谷調べは、妙に「大島裏砂漠」と縁がある。千駄ヶ谷が〝連れ込み旅館街〟だった昭和32年頃の新聞縮刷版を見ていたら、「裏砂漠テキサスコース」で東海汽船VS地元観光業者の騒動が載っていた。

 若松監督の大島裏砂漠ロケ写真を載せたかったが、著作権もあろうゆえ、小生が撮った裏砂漠の三枚合成写真をアップ。三枚合成でも裏砂漠はほんの一部。三原山裏側には、迷子になるほど広大かつ幻想的な黒い砂漠が広がっています。大島観光をぜひどうぞ。以上、千駄ヶ谷シリーズの余談。

 次回は「江戸名所図会」に描かれた「鳩森八幡宮神社」について。

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