方丈記8:平清盛、凋落の始まり [鶉衣・方丈記他]
其時おのづから(たまたま)事のたよりありて、摂津国今の京に至れり所の有さまを見るに、其地程せばくて條理をわるにたらず。北は山にそひてたかく、南は海に近くて下れり。波の音つねにかまびすしくて、塩風ことにはげしく、内裏は山の中なれば、かの木の丸殿(丸太で造った仮御殿)もかくやと(どうだったろうと)、中々やうかはりて(新鮮な感じで)、優なるかたも(一面も)侍りき。日々にこぼちて、川もせきあへず(堰き止め水を増して物資を遡らせることができず)、はこびくだす家、いづくに作れるにかあらん。猶むなしき地はおほく、造れる屋は少なし。古郷は既にあれて、新都はいまだならず。ありとし有人みな、浮雲の思をなせり(落ち着かず)。本(もと)より此所に居る者は、地をうしなひて愁へ、いまうつり住人は土木の煩あることを歎く。道の辺を見れば、車にのるべきは馬にのり、衣冠、布衣なるべきは直垂(平服)をきたり。
平清盛の遷都。京の貴族らには厳しかったようです。『平家物語』はこの辺をどう描いているのでしょうか。筆写を続けます。
都の條里たちまちにあらたまりて、たゞひなびたる武士にことならず。これは世の乱るゝ瑞相(前兆)とか聞をかるもしるく(著く=その通り)、日をへつゝ世中うき立て、人の心もおさまらず。民の愁つゐにむなしからざりければ、同年の冬、なを此京にかへり給ひにき。されどこぼちわたせりし(毀してしまった)家共は、いかになりにけるか。ことごとくもとの様にもつくらず。ほのかに伝へ聞に、いにしへのかしこき御代には、憐をもて国を治め、則御殿に茅をふきて、軒をだもとゝのへず(軒さえ整えず)、煙のともしき(竈の貧しき)を見給ふときは、かぎりあるみつぎ物をさへゆるされき。これ、民をめぐみ世をたすけ給ふによりて也。その世中の有さま、むかしになぞらへて知るべし。
五味文彦著には「おのづから事のたよりありて」を、琵琶の師・有安に誘われて~と解釈していた。有安は日頃から九条兼実(どちらの勢力につかず傍観者的他立場)に様々な情報をもたらしていたそうで、二人で福原を見に行ったのだろうと推測。
2018-03-02 07:53
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