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方丈記9:『平家物語』へ寄り道 [鶉衣・方丈記他]

heikenoehon_1.jpg 『方丈記』の「福原遷都」を記したところで、『平家物語』の第5巻「福原遷都」部分を勝手解釈現代文で端折り記してみる。

 治承4年、福原遷都の噂はあったが、誰もが今日明日のことではないと思っていた。だが6月3日予定が、繰り上がって2日に天皇が福原への神輿に乗った。安徳天皇、この時わずか3歳。乳母・平大納忠卿の北の方が同乗。母后建礼門院、後白河院皇、高倉上皇はじめ我も我もと御供した。

 清盛は、乱を起こした以仁王の父・後白河院皇を板囲いして運んだ。3日、福原入り。清盛の弟・池中納言平頼盛の山荘が仮皇居になる。

 『平家物語』はここで、今までの遷都の歴史を振り返る記述が続くも省略。一方、旧都の家々は解体して賀茂川、桂川へ運び込まれて筏で運ばれ、資財雑具も舟に積んで福原へ運び込む。軒を連ねていた京の町は日々荒れ、辻々は掘り起こされて車も通れない。京はすっかり田舎の様になって行った。

 6月9日に新都起工。和田の松原を9条に地割りをすれど、北は六甲の山、南は海への傾斜地で、5条で地は尽きた。全ての人々の気持ちは浮雲のように落ち着かぬ。元から住んでいた人々は土地を失い、今移って来た人たちは土木の煩わしさを嘆く。この辺は『方丈記』からの引用文が多い。

 8月10日、皇居上棟。11月13日に天皇遷幸に決まった。徳大寺の左大将実定は京の秋の名月が恋しく福原を出た。京は早や浅茅が原、鳥の巣のように荒れ果ていた。福原に移った平家の人々が妙な夢をみるようになった。悪い夢ばかり。平清盛も然り。内庭でしゃれこうべらが蠢いている。化物の夢は〝語り部〟の独壇場。盛り上げることよ。

 9月2日、相模国の大庭三郎景親が早馬で〝頼朝挙兵〟、つまり〝石橋山合戦〟の報を知らせに来た。頼朝300騎で石橋山に立籠るが、景親は1千騎で攻め、源氏は安房・上総に逃げた。『平家物語』はここで朝敵史を語り出す。

 9月18日、平家は3万余騎で福原を立ち、東国へ進発して富士川へ。頼朝の軍勢20万騎との嘘情報に怯えて平家軍は敵前逃亡。まぁ、概ねこんな内容~。詳しくは『平家物語』をどうぞ。挿絵は江戸中期の「平家物語剣之巻」(国会図書館デジタルコレクションより)

 こう記せば、かかぁが笑いやがった。「おまいさん、この歳で初〝平家物語〟かぇ。若い時分に読まなかったのかい」。「てやんでぇ、俺らの青春時代はやれ実存主義だ、現象学だ、ビートニックだ、カウンターカルチャーだと翻訳本全盛で日本の古典なんざぁ読む閑なかったんだ」と言い返した。

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