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方丈記10:大飢餓。金より粟を [鶉衣・方丈記他]

youwanokoro2_1.jpg 治承4年(1180)6月、福原遷都。同年11月還都。治承5年(養和元年)正月、高倉上皇病没。2月4日、平清盛64歳で病没。後白河院政復活。長明29歳で歌集『鴨長明集』を自選。同年春・夏が日照り、収穫期に台風・洪水で凶作。翌養和2年に大飢餓となって多数餓死者が満ちた。この京の「大飢餓」惨状を長明が克明に記している。

 又養和の比とよ(とよ=~と思う)久しくなりて、たかにも(誰にも)覚へず(31年後に『方丈記』を記している)。二年が間、飢渇して、浅ましき事侍き。或は春夏ひでり、或は秋冬大風大水など。よからぬ事共打(うつ=強調接頭辞)つづき、五穀ことごとくみのらず。空しく、春耕し夏うふる(植える?)いとなみのみ有て、秋刈冬収るぞめき(ぞめき=騒ぎ、賑わい)はなし。

 これによりて国々の民、或は地を捨て境をいで、或は家を忘れて山にすむ。様々御祈はじまり。なべて(総じて)ならぬ(あってはいけない?)法共行るれ共、さらに其しるし(効きめ)なし。京のならひ、なにはにつけても、みな、もとは田舎をこそたのめるに、絶てのぼるものなければ(京に入ってくる物がなければ)、さの(然の)みやはみさふ(操)も作りあへん。(平気なようすでいられようか)。念じ詫びつつ、宝物かたはしより捨るごとくすれ共、さらに目見たつる人(注目する人)なし。たまたまかふるものは、金を軽くし粟を重くす。乞食道のべにおほく、愁へ悲しむ声耳にみてり(満つの活用⇒満て+り〝完了〟)。先の年かくのごとく。からうして暮ぬ。明る年はたちなをるべきかと思ふに、あまさへ(剰へ=あまりさえ=その上、おまけに)悪やみ打そひて(添ふ=つけ加え)

 長くなったので、ここで区切る。古語辞典や広辞苑をひもときつつ四苦八苦です。意を解さぬと「くずし字」の調子もなく、音読しつつ書き直しです。京の飢餓は翌年になると、さらに悲惨さを増す。ちなみに、この養和2年(1181)、親鸞は9歳で出家・得度。

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