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千駄ヶ谷と東京裁判(36) [千駄ヶ谷物語]

saiban1.jpg_1.jpg 赤坂真理『東京プリズン』は、母が「マッジ・ホール」出入りで「東京裁判」資料下訳をし、米国ハイスクール留学のマリは「東京裁判」見立てのディベートに立つ。

 実は小生の息子も米国ハイスクール卒。真珠湾攻撃の日にいじめられるのではないかと心配したもの。

 千駄ヶ谷の戦前のお屋敷住人を調べれば、「東京裁判」関係者が多いのに気付く。徳川邸前に住む幣原喜重郎は「原爆なる武器出現の世に戦争など真っ平御免」と「平和憲法」へ。鳩森八幡神社の南側在住だった松岡洋右は国際連合脱退、日独伊三国同盟締結時の大臣で「東京裁判」出廷後に病死。その南側に住んだ林銑十郎は、陸軍大臣・内閣総理大臣で昭和18年2月死去。もう少し長く生きていたら「東京裁判」主役の一人だったかも。

 同神社隣の久保田二郎が「僕の家の横手が〝原田日記〟の原田熊雄男爵家」と記す、その「原田日記」(「西園寺公と政局」)は、検察側の反証材料に140件も採用。獅子文六の三番目の妻は、原田熊雄の妻と姉妹。文六家の南は「東京裁判」日本側弁護団長の鵜沢聡明。團琢磨邸跡の一画に住んだのは重光葵(「巣鴨日記」)。原宿竹下口の奥には東條英機に次ぐ主役・広田弘毅(主に盧溝橋事件と南京事件で訴追)も住んでいた。

 どうやら千駄ヶ谷は「東京裁判」抜きでは語れそうもない。小説『東京プリズン』にはA級B級C級の記述が幾度も登場するが曖昧のまま。まずはそこからお勉強です。教科書は思想的偏りのない著作が肝心。半藤一利・保坂正康・井上亮の『「東京裁判」を読む』(平成21年、日経ビジネス人文庫)を選んだ。

 A級「平和に対する罪」、B級は「通常の戦争犯罪」、C級は「人道に対する罪」。BとCの区別が曖昧ゆえ「BC級戦犯」と一括で呼ばれもした。「BC級戦犯」は世界49ヶ国で起訴件数2244件、被告者約5700人。各国の軍事法廷で約1千人が死刑判決。赤坂真理の母は「BC級裁判」資料の下訳だったのかしら。

 東京裁判(極東国際軍事裁判)は昭和21年(1946)5月3日~昭和23年11月(2年半)に市ヶ谷の旧陸軍士官学校講堂で行われた。日中・太平洋戦争時の政府・軍指導者を新たな概念のA級「平和に対する罪」で裁き、7名が絞首刑、16名が終身禁固刑、2名が禁固刑。

 これら裁判資料は朝日新聞の裁判取材で収集したものの他に、昭和31年(1959)の「戦争裁判関係資料収集計画大網」省議決定で本格収集。国内外で行われたA級・BC級約2千数百件、5千数百人に関する膨大文書を収集。後者資料は平成11年(1999)まで法務局倉庫に30年余も眠ってい、法務局から国立公文館に移管されてマイクロフィルム化、平成19年(2007)4月に初公開。「A級裁判記録」約6千件、文書枚数は約5万8千枚。300頁書籍換算で200冊相当。翌年に〝コマ番号化〟されて検索し易くなった。

 膨大さゆえ読み込むのは至難。前述の3名が1年間読み込んだ分をまとまたのが『「東京裁判」を読む』。前段が長くなったので本題は次回へ。(写真は国会図書館デジタルコレクションより)。

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