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ワシントンハイツの影響(40) [千駄ヶ谷物語]

IMG_0981_1.JPG 「ワシントンハイツ」のアメリカ文化が日本へ与えた影響は大きかった。小生の高校時代の部活ランニングコースに「ワシントンハイツ」フェンス沿いがあったことを思い出す。同ハイツ接収は東京オリンピック前年まで続いた。

 秋尾沙戸子『ワシントンハイツ~GHQが東京に刻んだ戦後』序章は、著者が西麻布1丁目の木造アパートに住み始めて、突然の爆音に驚いたことから書き出されていた。今も接収が続く米軍ヘリポート(六本木トンネル辺り)の離着爆音だった。

 同書から「 ワシントンハイツ」の概要をまとめる。敷地面積27万7千坪。工事費8億円は全額日本の賠償金。工事従者延べ216万7千人。工事を請け負ったのは鹿島建設、清水建設、戸田建設。

 安普請の低価格住宅は家具付きで827戸。平屋一戸建て、平屋及び二階建ての二戸建て、二階四戸建て。間取りは9種。ガスレンジ、ガス瞬間湯沸かし器、電気冷蔵庫、バス、シャワー、水洗便所、電気暖房装置など。加えて学校、教会、ガスタンク、消防署、クラブ、三つの野球場、テニスコート2面、ヘリポートなど。芝生5万8千坪、立木1万3千本などで整えて昭和22年(1947)9月に竣工。

 「白洋舎」がドライクリーニング、ランドリー工場設立命を受けて大躍進。東京では他に成増飛行場跡に「グランドハイツ(1267戸)」、永田町の閑院宮邸跡に「ジェファーソンハイツ(70戸)」、霞が関に「リンカーンセンター(50戸)」が竣工。娯楽面では日比谷・宝塚劇場が「アーニ―パイル」劇場へ。同劇場についてはカテゴリー「ミカドの肖像」で詳細報告済。

 これら米軍接収施設の米国文化が日本に及ぼした影響は多大。米軍キャンプ巡りのミュージシャンらが日本にジャズ旋風を、また歌謡曲、ポップスを盛り上げた。ハイツからアイドル・ジャニーズも生まれた。ハイツ将校夫人らのアメリカン・ファンションが、焼け跡の青山・原宿をファッション拠点化した。「青山・紀ノ国屋」が米国式スーパー・マーケット第1号。米兵らによる性風俗も様々に影響した。

 一方、日本の極貧環境による疫病防止にGHQによるDDT散布。大量飢餓防止に諸国から集められた対日援助物資(ララ物資)が支給され、日系人からの救済400億円援助。欧州の困窮者支援団体から180億円などが続々寄せられた。昭和21年、都内89校を手始めに脱脂粉乳はじめの学校給食が開始。小生も脱脂粉乳の味を覚えている。

 次に米軍接収施設が日本に及ぼした音楽、ファッション、性のそれぞれについて調べ記してみたい。

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