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ファッションの街誕生秘話(42) [千駄ヶ谷物語]

matuyapx_1.jpg 千駄ヶ谷にはアパレル個人企業が密集している。アパレル大手が集う青山・原宿に近く、ミニ物件が多く家賃も手ごろゆえだろうか。ネットに平成16年(2004)頃の「高橋靖子の千駄ヶ谷スタイリスト日記」があった。拝見すると「川村かおり、西田ひかる」の名が度々登場していた。

 余談だが、小生は両者のデビューに少し関わった。西田ひかるのレコード会社デビュー会議にJASキャンペーンガールの胸豊かな水着姿の新聞広告が示され、小生「お色気を抑えて」と発言し、デビュープロモート計画書を書いたと記憶している。川村かおりデビュー・パンフも作ったと思う。

 2004年ならば、川村かおりは他社移籍後で、その後に癌で亡くなった(享年38)と知って愕然とした。また同ブログには原宿の喫茶店「レオン」や「セントラルアパート」が登場。まだ店も少ない竹下通り奥に友人イラストレーターの事務所があって、打合せは「レオン」だった。セントラルアパート通勤の友人もいた。その後に同潤会アパートの某バンド事務所を訪ねたことある。

 だが原宿・青山辺りにファッション系企業が根付いたのは、そんな時代よりずっと前~のような気がする。秋尾沙戸子著『ワシントンハイツ』に、概ねこんな記述があった。

 同ハイツの将校夫人らがPXで購った洋服生地でドレスをオーダーする。藤原美智子・和子の妹・和子がデザイン担当で、外務省外郭団体で働いていた姉・美智子が営業。二人は広いハイツ内を注文、採寸、仮縫いで日々歩き廻っていた。そのうちに店を構えた方がいいと、焼け野原の青山1丁目交差点際に「ミカ・シスターズ」を開店。ガラス張りショールームの店設計が西村久二、店名ロゴが大智浩。店の前にアメ車がズラッと並んだ。

nisimuraisaku.jpg PXで購入の生地を持ち込む、米国カタログ販売「シアーズ」で得たドレスのサイズ直し、そのうちに米軍関係者と仕事をする日本女性らも同店でドレスを注文。かくして周囲にファンション系店舗が増えて行った。後に藤原美智子は日本女性向けの既製服事業に乗り出す。

 ここで注目は、店設計が西村久二ということ。彼の父は西村伊作。伊作の父は大石余平。余平夫妻は濃尾地震で自身の教会崩壊で亡くなった。余平弟で医師・大石誠之助が余平夫妻の長男・伊作を育てた。大石誠之助家の近所に5歳年長の医師・佐藤春夫の父がいて、大石&伊作の「太平洋食堂」に佐藤春夫も集っていた。

 洋行帰りの誠之助が、社会主義啓蒙「家庭雑誌」に〝洋食紹介〟を執筆。そんなつながりで明治43年「大逆事件(幸徳事件、12名処刑)」の紀州グループ長として誠之助も逮捕され東京へ連行(のち処刑)。伊作は弟・真子がロス留学から持ち帰ったオートバイで誠之助の後を追って上京した。

 大正10年、西村伊作は神田に文化学院を創設。文化部長に佐藤春夫が就任。千駄ヶ谷で『明星』最盛期を築いた与謝野晶子・寛夫妻も参加。伊作没後の理事長に、仏国で建築を学んだ西村久二が就任。その彼(留学前)が「ミカ・シスターズ」店舗を設計。青山・原宿のファンション街化のそもそもに、大逆事件の系譜を覗き見て興味深かった。確か幸徳秋水の最後の家も、昔の千駄ヶ谷5丁目だったはず。西村伊作に関しては、左枠マイカテゴリー「佐藤春夫関連」に詳しい。写真上は銀座松屋「TOKYO PX」(国会図書館デジタルのモージャー氏撮影より)。写真下は西村久二の父・西村伊作伝『きれいな風貌』(黒川創著)。

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