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人の身は天地父母のみまたもの(7) [貝原益軒「養生訓」]

newyojo1_1.jpg養生訓 巻第一 総論上

人の身ハ父母を本とし、天地を初とす。天地父母のめぐミをうけて生ま、又養はれたるわが身なれバ、わが私の物にあらず。天地のみまたもの、父母の残せる身なれば、つゝしんで、よく養ひて、そこなひやぶらず。天年を長くたもつべし。是天地父母につかへ奉る孝の本也。身を失ひてハ、仕ふべきやうなし。わが身の内、少なる皮はだへ、髪の毛だにも、父母にうけたれば、みだりにそこなひやぶるは不幸なり。況大なる身命を、わが私の物として慎まず、飲食色慾を恣にし、元気をそこなひ病を求め、生付たる天年を短くして、早く身命を失ふ事、天地父母へ不幸のいたり、愚かなる哉。人となりて此世に生きてハ、ひとへに父母天地に孝をつくし、人倫の道を行なひ、義理にしたがひて、なるべく程ハ寿福をうけ、久しく世にながらへて、喜び楽みをなさん事、誠に人の各願ふ処ならずや。

 ★筆写参考は、益軒が同著刊の正徳3年(1713)から121年後の、天保5年(1834)の浪花・岩井寿楽蔵版。江戸後期「くずし字」木版は読み易い。ここでは現代語訳は省略。

<爺婆談義>で勝手解釈です。爺:おや、端から儒教根本の「孝」です。婆:儒教の芯ですよ。「儒教=子の親への孝」と思われがちも、孔子は祖先への祭祀(過去)~父母への敬愛(現在)~子孫を生む(未来)の生命論として「孝」を捉えたんですね。爺:キリスト教では、子は神の賜物で、仏教は妻帯せずゆえ子を設けない。ホントかいなぁ~。婆:でも「孝行のしたい時分に親はなし」。爺さんのように老いれば~。爺:「飲食色欲を恣にして」も元気なうち。老いれば食いたい物も、色慾もなし。

<私注>「人倫=人として守り行うべき道」。「義理=道理、道筋」。いやだねぇ、こんな言葉にも縁遠くなってしまった。「況=いわんや」。「恣=ほしいまま」。「寿福=長命で幸福なこと」。「なら〝ずや〟=文末に用いて~ではないだろうか」。

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