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細く長く生きる養生の術(14) [貝原益軒「養生訓」]

hitoinoti_1.jpg人の命は我にあり。天にあらずと老子いへり。人の命は、もとより天にうけて生れ付たれども、養生よくすれば長し、養生せざれば短かし。然れば長命ならんも、短命ならむも、我心のまゝなり。身つよく長命に生れ付たる人も、養生の術なければ早世す。虚弱にて短命なるべきと見ゆる人も、保養よくすれば命長し。是皆、人のしわざなれば、天にあらずといへり。もしすぐれて天年みじかく生れ付きたる事、顔子などの如くなる人にあらずむ(ん)ば、わが養のちからによりて、長生しる理也。たとへば、火をうずみて炉中に養へば久しくきえず。風吹く所にあらはしおけば、たちまちきゆ。蜜橘をあらはにおけば、としの内をもたもたず。もしふかくかくし、よく養えへば夏までたもつがごとし。

<私注> 「顔子〈がんし)は顔回、顔淵、子淵のこと。孔門十哲の一人で随一の秀才だが、孔子に先立って没」。「あらずんば=あらずば=~でなければ」。「うずみて=埋む」。「蜜橘(みかん)は中国語=蜜柑。くずし字は蜜、橘、爐(炉)、虚を初めて書いた。「け=遣、希、氣」だが原本は「希」。「遣」のくずし字と微妙に違う。

<爺婆談義> 爺:「火を埋づみて炉中に養えば久しく消えず。gansi.jpg_1.jpg風吹く所に表わし置けば、たちまち消ゆ」。母が江戸千家のお師匠さんで、生家の八畳間に炉が切ってあり、稽古日には炭が入っていた。祖母も煮物は火鉢でしていた。大島ロッジで薪ストーブの熾火を愉しむ生活もあるゆえに、上記〝炉中〟の例えは実感できる。だが、それら体験がない息子らには、理解できぬ〝例え〟になっているような気がする。かく云う小生も、蜜柑の保存体験はない。婆:養生の術って、細く長く生きる術のようですね。

 カットは北斎漫画にあった「顔子」の図。北斎も寺子屋で『論語』素読をしたのだろう。荷風、漱石までは小学生時代に漢文を習っていたが、漢文素読は何時から行われなくなったのだろうか。隠居で閑ゆえ、これから勉強しましょうか。

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