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吉阪隆正の再考 [週末大島暮し]

 昨日の絵の説明です。

★旧波浮小学校:「伊豆大島ナビ」で紹介の漁業協同組合加工部の岡村京子さんのコメント+「大島町史」+「小生解釈」文で改めて説明してみます。~美濃部都知事時代の40年代に島しょ格差是正で、老朽化校舎が次々に鉄筋化。旧波浮小の鉄筋化は昭和41年。前年の元町大火に復興計画書を提出したル・コルビュジエに師事の吉崎隆正と若い建築集団が、島南部まで関与して同鉄筋化に関わった。全体的に船舶をイメージした設計で、興味ひく建物になっている。

★参道への敷石:当時は目立たなかっただろうが、いまGoogleマップで上空から大島元町を拡大して見ると、この参道敷石の模様が、他の何よりもクッキリと浮かんできます。先見の明があったと、改めて関心しました。

★世界初のボンネルフ道路:ボンネ(エ)ルフは車と人の共存道路。新町長になって「こんなクネクネ道は面倒くさい」ってんで真っ直ぐに直されてしまったそうな。今思えば、これまた今の思想です。当時の設計図を見たが詳細を忘れたので、あたしならば道幅広く交通量少ないあの道をクネクネ道再現で、凸部にベンチや出店で、常に縁日気分の演出をと思ってのイメージ絵。新しい船客待合所完成の岡田に比し、ますます淋しくなる元町に楽しいストリート誕生です。

なんで、これを記したかと言うと「アートアイランズ」の地元側の方?が、頑なに吉阪隆正の存在を認めようとせず「あぁ、もったいないなぁ」と思っての吉阪隆正再考です。

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