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大島と新宿(人と唐辛子) [週末大島暮し]

nagisa_1.jpg<大島シリーズ後日談> 大島からの帰京が10月25日で、10月1日の新聞に「渚ようこ」さん心不全で逝去の報があった。翌日、いつもの自宅~伊勢丹の往復ウォーキング途中で、ゴールデン街の「汀」の前で頭を下げた。渚さんは大島でもお馴染みの佐々木美智子さん(おミッちゃん)のゴールデン街の若き友人で、昭和歌謡を唄う「汀」のママだった。

 小生は某演歌歌手のスポーツ紙連載のゴーストライターをしていた時の、同紙の文化部長が大島出身で、昭和50年頃のS町長の息子さんだった。それでゴールデン街のおミッちゃんの店に連れて行けば、なんと、おミッちゃんは文化部長さんチの店子だった時期もあって、二人は大盛り上がりになった。

 おミッちゃん、スポーツ紙の文化部長が来たってんで、「汀」の渚ようこさんを呼んで来た。その後、渚さんはテイチク「匠レーベル?」からCDリリ―ス。「汀」にオリコンの演歌担当者を連れて行けば、テイチク宣伝部の女性スタッフもお店に来ていたりもした。小生はもう隠居で、かつ新宿で呑み歩くこともないが、そんな事もあって「汀」前で頭を下げた次第。

 また過日の千駄ヶ谷散歩で、新宿御苑・千駄ヶ谷門近くに、大島の裏砂漠などの写真展示があって、覗き込めばそこは故・若松孝二監督の事務所で、それは『海燕ホテル・ブルー』のロケ写真だった。若松監督、おミッちゃん、渚ようこさんに交流があったと知った。

tougarasi.jpg.jpg 大島と新宿の関係では、百人町在住だった「吉阪隆正と大島」の関係を記したが、新宿はいま江戸野菜「内藤とうがらし」が復活中。小生もベランダで「内藤とうがらし」と大島の「アオト」を交互に育成中。その「内藤とうがらし」が、地域の名物を商品登録する特許庁「地域団体商標」登録決定で、さらにはフランスの唐辛子村と提携話が進むなどグローバルに展開中と10月8日の新聞が報じていた。「単なる江戸野菜ではなく、地域文化と捉えればグローバル展開へ広がる」旨が記されていた。

 大島では各戸が庭に自家用アオトを植えるほど普及していて「アオト商品(土産)」もある。「内藤とうがらし」のように大きな展開が出来ないのは何故だろうかとも考えてしまった。ちなみに今回の大島土産の中にしっかり「アオト6袋」確保です。写真はベランダで収穫の「内藤とうがらし」。 

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