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11 ) 陽明学から幕末へ [朱子学・儒教系]

youmeigaku_1.jpg 「陽明学者」が関西人、さらに西の方々ってぇことで、俄かに興味を失ったが〝いとまある身の徒然に~〟「陽明学」のお勉強です。参考は島田虔次著『朱子学と陽明学』、吉田公平著『王陽明「伝習録」を読む』ほか。

 その祖・王陽明は1472年、浙江省生まれ。父が進士試験首席及第で北京で官界入りし、陽明も10歳から北京暮し。勉強嫌いで戦争ごっこ好き。18歳で勉学に目覚め、28歳で進士へ。35歳の時に権勢ふるう宦官への反対運動で投獄。山地に流された。

 そこで日夜静坐。「聖人の道は、吾が性自ら足る。さきの理を外に求め̪るのは誤り」と大悟とか。つまり朱子学の圏外で、自己救済の道を発見。39歳で例の宦官が誅せられて官僚コースへ戻る。陽明学を講義しつつも陸軍大臣控まで昇進し、大規模な農民反乱の続発を平定。中国では人気のない人物だったらしい。また女性運悪く、家庭は常に修羅場だったとか)。

 さて、その陽明学を、長屋の隠居・熊さん(小生)にもわかる言葉、言い回しでまとめてみる。孔子の儒教は先祖からの生命持続論で「礼・孝・仁」が肝心。朱子学はそこに「気と理」概念を持ち込んで形而上学まで発展。その軸は「性即理」。人間の多様性や弱さの「情・人欲」は「気」の歪みゆえ、学問・修養で修正し、天から与えられた純粋な本性(性善説)をもって「即理」とする説。

 一方の陽明学は「心即理」。「心と理」を二分せず。「性・情」合せたものが本来の心ゆえ「心即理」。それを説いた書が『伝習録』。「心即理」に併せて「知行合一・至良知・万物一体の仁」が要とか。

 「到良知」の良知=万人が持つ先天的な道徳知=人間の生命力。これを全面的に発揮すること。人欲も自然なものとして肯定。「知行合一」=美しい色を見る=好きだから見る=「好き=行、見る=知」即ち「知行合一」。「万物一体の仁」は、自分を含む万物は繋がって一体ゆえ、他人の痛みは自分の痛みと説く。ゆえに社会教育や社会改革に至る。

 朱子学は読書や静坐を重視したが、陽明学はコトが起こったら、それでは役に立たない。日常生活の中で「良知」を磨く「事上練磨」が肝心とも説く。ゆえに陽明学に影響をされた者は社会的、政治的行動に走りたくなるらしい。

 日本の陽明学は中江藤樹(没後に『伝習録』が和刻)~三輪執斎~佐藤一斎~彼の門下らは陽明学を己の私欲・執着を「良知」を勘違いし、妄念を心の本性の叫びと間違えて行動に移して革命志向に走ったと指摘されていた。なお吉田著は「伝習録」原文と現代語訳・解説で構成されている。

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