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10)江戸から明治維新へ [朱子学・儒教系]

IMG_1685_1.JPG 小島毅著『儒教が支えた明治維新』が儒教・朱子学の流れをダイナミックに説明していた。同書参考に小生調べも加え、明治維新までの流れを一気にまとめてみた。

 孔子開祖の儒教思想は、紀元前1世紀~紀元後1世紀に、漢帝国の御用学問となり、7世紀の唐初期に教義統一が図られた。日本は、その政治秩序、社会組織を真似て8世紀初頭に儒教思想を理念の「律令国家」を完成した。

 中国儒教は、その後に朱熹が「理と気」の概念をもって朱子学を確立。より個々人の内面修養が重視された。朱熹没の約100年後、久しく中断の「科拳」が再開で、朱子学による新注「四書五経」が科目となって、朱子学が権威を有した。

 日本では17世紀に藤原惺窩や林羅山らによって朱子学が普及。徳川家康は羅山の〝曲学阿世〟をもって豊臣討伐を正当化して天下統一。老中・松平定信の「寛政の改革」で「異学の禁」で蘭学禁止。朱子学を幕府公認学問にした。聖学堂に昌平坂学問所を設け、寛政の三博士(全員が関西人)はじめを招聘。江戸庶民の贅沢品禁止、幕府批判禁止、混浴禁止、帰農令、囲米、棄損令、出版統制など。

 その後、藤原惺窩の寛容さもあってか諸説思想家が次々に登場した。経験主義的性格が濃い貝原益軒、新井白石などの派。大学頭の林家系。古学派(反朱子学者の山鹿素行、伊藤仁斎、萩生徂徠など)。懐徳堂派(大阪商人設立の学問所)。崎門学派(山崎闇斎の門下、浅見絧斎、佐藤直方、三宅尚斎など)。折衷派など~。

 そして陽明学派(中江藤樹、熊沢番山、三輪執斎、幕末の大塩平八郎=三島由紀夫は大塩に影響を受けた)は、その革新的な傾向を受けて吉田松陰、西郷隆盛らによって討幕運動の精神的背景になった。

 よって日本はアジアの中で最も早く西洋風近代国家への脱皮を果たしたが、その表向きは陽明学歪曲の革命的解釈で、根は日本古来の神道による王制復活、実質的には西洋列強を模倣した国家構築~が正しい。つまり端から儒教・朱子学は為政者に便利な理念で、民衆が支えていたのは仏教(寺請制度)だった。明治国家は陽明学的な幕末志士らが退場し、朱子学的な能吏が政治中枢を占め、その官僚制度が今も持続されていている、と説明。

 神道や王制復活の文言で、吾が鼻がムムッとうごめいた。もしやと陽明学に影響された方々を調べてみれば、全員が関西人なのに衝撃を受けた。江戸下町の熊さん八っつぁんには無縁の臭いがして、ここは小生ならではの臭覚発揮どころかなと思ってしまった。

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