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戸山荘㉔『和田戸山御成記』を終えて [大久保・戸山ヶ原伝説]

tokyosisiko.jpg_1.jpg 戸山荘のあった地は〝地元〟です。16年前に「東京市史稿」より大田南畝(写)の『戸山庭記』他を転載したことがあります。今回は三上季寛による寛政5年の11代将軍徳川家斉に随行した『和田戸山御成記』。文章を吟味しつつ、該当現在地をも確かめつつのアップ。戸山荘資料は多数ゆえ、機会があれば今後も読み込んでみたく思っています。

<「東京市史稿」の『和田戸山御成記』について>  同史稿は翻刻(くずし字で書かれた文献を活字に直して一般に読める形式したもの)ですが、昭和4年刊で、珍しい「くずし字活字」交じり。それはまぁ読めますが旧かな、旧字、濁点なし、無教養ゆえ知らぬ語彙も多く、解釈するのに「古語辞典、広辞苑」が欠かせなかった。

 読めなければ、濁点を付けてみる。旧かなを現代かなに直してみる。読点(、)位置を入れ直してみる。漢字変換をしてみる。~等々を試みつつの解読でした。小生は戦後生まれ。かつ母が茶道華道のお師匠さんでしたから着物の生活、茶道具、華道具などに多少の馴染もあり、道具名から〝あぁ、家にもあったなぁ〟などと懐かしく思い出したりしました。しかし今や「集合コンクリ住宅+デジタル生活」で、小生の子供らには江戸はさらに遠い世界になっているように思います。

 わからない個所はそのまま、またいい加減に読み飛ばした部分も多々です。それらが気になる方は、ぜひ御自分で「東京市史稿」をお読み下さり、御自身のサイトでアップ下さいませ。

<現在地の推定について> toyamaenzu.jpg_1.jpgowariko.jpg_1.jpg 戸山荘25景の推定現在地は「新宿歴史博物館」のチラシ「新宿の遺跡2019」の「尾張徳川家下屋敷」の絵図+現在地=「重ね地図」を、また幾つか建っている史柱を参考にさせていただきました。

<参考絵図> 国立国会図書館デジタルコレクションより①「尾張大納言殿下屋敷戸山荘全図」 ②「尾候戸山苑図」(平野知雄・原図。戸山邸内の長屋生まれの藩士。42歳で安政6年の戸山御殿全焼に遭遇。明治元年に名古屋に移住して、戸山荘の思い出を『戸山邸見聞記』(明治元年3巻を刊)。そこから皆園圭・写で明治21年刊。 ③「尾張公戸山庭園」(寛政5年) ④「東京市史稿・遊園篇」2巻掲載の宝暦頃「戸山御屋敷図」

<参考資料> ●国立国会図書館デジタルコレクションより「東京市史稿・遊園篇第1~6篇」(昭和4年~11年刊)より、第1篇「和田戸山庭築造」「尾州公戸山御庭記」/第2篇「戸山御成記」(久世善記・大田南畝写)、「和田戸山御成記」(三上季寛)、「戸山の春」(佐野義行)他。

●新宿区歴史博物館の刊行物「平成4年度企画展図録・尾張徳川家戸山屋敷への招待」/「平成18年度特別展・尾張家への誘い」/「所蔵資料展・新宿の遺跡2019(特集)尾張徳川家戸山屋敷とその周辺」及び同テーマの計3回講座資料。

●書籍 ①小寺武久『尾張藩江戸下屋敷の謎』(中公新書1989年刊)/西村ガラシャ『公方様のお通り抜け』(日本経済新聞社2016年刊)/③清水義範『尾張春風伝』(幻冬舎1997年刊)/④芳賀善次郎『新宿の散歩道』(三交社刊)/⑤『我が町の詩 下戸塚』。他に多数ウェブサイトも参考にさせていただきました。

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