SSブログ

堀田善衛『方丈記私記』(~10章私抄) [鶉衣・方丈記他]

kamosan.jpg 次に著者は「歌人・長明」について記すが、そこは省略して一気に最終章まで私流抄録する。著者は、鴨長明を「世を捨て、かつ60歳になってもトゲの残る人だった」と書き出す。これほどまでに「ウラミツラミ、居直り、ひらきなおり、ふてくされ、嫌味」を大ぴらに書いた人は他にはいないのではなかろうか。出家しようが、山中に籠ろうが、おそろしく生臭いのである。それが彼の「私」ならば「無常とはいったい何であろう」と問う。

 世を捨てたからこそ仏道を、朝廷一家の閉鎖文化を、その現実遮断文化を、本歌取りの伝統憧憬を、伝統志向による文化範疇をものともせずに完全に突き抜けた〝私〟が成立したことゆえだろうと答えを見出している。

 「夫三界は只心ひとつなり」。それらへの長大息(長嘆息=私の全人間)で「一身をやどすに不足なしの庵」の形をとっていることも面白い。さらに云えば『方丈記』は「住居を考えることから発した人間論でもあり、堂々たる宣言であった」と記す。

 鴨長明は生涯に二つの世界「貴族・乞食」を知っていた。「深間(境界)の浮雲の人」であると記して、著者は再び彼の人生を振り返る。大火、辻風、遷都、飢餓、大地震、疫病、兵乱。民衆の塗炭を知っている。

 同時に42,300余の飢餓死者の現実を反映しない『千載和歌集』『新古今和歌集』などの高度な美的世界、皇室中心の貴族の閉鎖社会を知った上で、「住まずして誰がさとらむ」の閑居のなかで、彼は初めて「歴史」が見えてきて書いたのが『方丈記』ではないかと記す。

 それに比して、現実の言葉まで拒否し、歌によって歌を作れという二重拒否で成立したのが定家らの伝統憧憬の「本歌取り」。それはまた1945年の終戦当時の空襲と飢餓に満ちた世にも皇室ナントヤラも「本歌取り」の思想と同じではなかったか。それが我々文化の根本に根付いて閉鎖文化集団の土壌にもなっているのではないか。かくして「日本」は深い業の歴史と伝統に根付いている。

 そして鴨長明のもう一つの対極に立つのが、すさまじい思想弾圧に耐えて、人々の心のひだに入って行ったのは親鸞、法然、日蓮ではなかろうか。長明が逝った日野山の麓で生まれたのが親鸞。「長明かくれて親鸞出づ」と結んでいた。

 また一人、関心を寄せたくなる作家と出会いました。氏が次に書くのは「親鸞」と思いきや、氏は『定家明月記私抄』を著わしているらしい。カットは国会図書館デジタル「肖像」より。世を捨ててもトゲの残るしたたかな風貌なり。

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。