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牛込氏6)『牛込氏と牛込城』を読む [牛込シリーズ]

 ~としたいも、新宿区図書館の本は未だ読めず。11日に新たに予約か、通常利用開始の7月1日まで待たないといけないらしい。「コロナ自粛解除ステップ2」も、新規感染者34人で「東京アラート」発令。歌舞伎町はじめ〝夜の街〟を擁する新宿区ゆえ無理もない。

 コロナ感染と関係ありやはわからぬが、ここ1週間でふらふらと歩いていて倒れる女性、座り込み標識柱にしがみついている女性、ハイヒール姿で左右に揺れつつ歩く女性~を続けて見た。

 さて、続きものブログアップ中ゆえ、ブログ機能上「このタイトル+この文」を仮アップで、同書読了後に(6)を「再・編集機能」で書き直せ(差し替えせ)ばシリーズが続く体裁になる。

 読む本が切れたので、自粛前と同じ賑わいに戻った新宿・紀伊国屋書店で、渡辺淳一著『女優』(戸板康二『松井須磨子』は書店にも図書館にもなし)を購った。松井須磨子の小説。読み始めて未だ100頁だが島村抱月と松井須磨子が初めて二人で飯を食うシーン後に~ 抱月の家は諏訪町で、須磨子の家は大久保とあった。坪内逍遥の小劇場付き研究所も近くの余丁町坂上で、坂を下ると荷風旧居。抱月と須磨子のドラマはこれから神楽坂へ移って行くだろう。散歩圏内で展開する大正ロマン、愛のスキャンダル、新劇史~。

 ★上記をこのまま残したまま、7月2日に<『牛込氏と牛込城』を読む>を追記です。

usigomejyo_1.jpg さて『牛込氏と牛込城』(新宿区郷土研究会刊)は、他館では貸出可もあるが、中央図書館では館内閲覧のみ。20頁の小冊子ゆえコピーして自宅で読ませていただいた。今まで『新宿の散歩道』(芳賀善次郎著・昭和48年刊)を主参考にさせていただいたが、同冊子には芳賀氏が「新宿区郷土研究会」元会長で、同会の創立十周年記念号とあった。

 「はじめに」に~元会長は同会にとって「牛込と牛込氏」テーマは避けて通れぬと強調された。元会長の資料と考証を中心に同会全員(13名)が研究を続けてきたが元会長が急逝され、故人の遺志を継承しての発行と説明されていた。

 小生ブログが記した概要に大間違いはなさそうだが、不明部分などが丁寧に説明されていた。まずは「江戸氏と牛込氏の関係について」。江戸氏は平安末期から鎌倉、南北朝時代の武蔵在地の武士団・武蔵7党の1つ。秩父党の重継の代から鎌倉幕府の家人を務め、江戸を領として江戸氏を名乗った。

 牛込本家所蔵『牛込文書』21通の内①~⑦が江戸氏関係のもの。牛込を領地にしていた江戸氏と大胡氏の間に姻戚関係が出来て、江戸氏の牛込所有地を大胡氏が継承したと説明されていた。この辺はすでに紹介の新宿歴史博物館研究員・矢島希彦氏による『牛込流江戸氏と牛込氏』にも詳しく、また両家の姻戚関係は今回借りた『大胡系牛込氏の研究』にも詳細説明されていた。

 次の主テーマは「牛込城について」。昭和61年の1年間、会員全員で調査した結果が報告されていた。小生が芳賀著から推測して現地図に乱暴に赤線で囲った「牛込城」概域を、同誌より詳細・訂正すると、善国寺裏辺りに「大手門」。神楽坂商店街の向う側まで「曲輪地」が広がっていた。西側の曲輪地は現「愛日小学校」辺りまで広がっていて、牛込濠辺りは現・東京理科大や旧日仏学院など濠沿いの平地から少し坂を上った台地からが城域と図解で説明されていた。

 また牛込氏のその後は、牛込勝重が家康にお目見えを許され1,100石取りの旗本になった。屋敷は小日向牛天神下に与えられた。牛込城址地は江戸城に近い地で重視され、譜代家臣の屋敷地、寺社地になった。3代重悉は長崎奉行。第13代重行は維新時に将軍に従って遠州浜松へ。その後は田町へ。詳細はぜひ同誌をお読み下さい。

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