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『スモール イズ ビューティフル』第一部 [政経お勉強]

small_1.jpg 先日、テレビ「欲望の資本主義2021」(1月1日の再放送?)を途中から観た。そこで語られていたのは1973年(昭和48年オイルショックの年)刊のE・F・シューマッハー『スモール イズ ビューティフル』で指摘されていたことがベースになっていると思った。同書は当時「現代の預言書」と評されたベストセラーで、今も「古典的論考」と注目され続けているらしい。

 1973年はオイルショックの年だ。小生はフリーランサーで、それまで順調だった仕事がピタッとなくなった。外注の印刷代も払えず、新聞求人広告で高給を謳っていた新宿のキャバレーで働き出した。

 今のコロナ過では、フリーランサーにも支援金・給付金があるそうだが、当時はそんな生き方を選んだ者は「自己責任」で、またその覚悟で選んだ道だった。夜の世界から従来の仕事に復帰後は、役所や大企業就職の同年配に負けてなるかと必死に働いた。世はやがてバブルへ向かい出した。

 同書はそのオイルショックで顕在化した資本主義・工業経済・民主主義〝終焉の兆し〟に注目し、そこに巣食う過ちから「新しい経済学」が模索されていた。未だ巨大企業GAFAによるネット社会に至らずも、同書で指摘された従来経済学の過ちは、今も通じる貴重な警告になっている。今、オイルショックの同書刊行から48年後の「コロナ過」で、遅まきながら同書新訳の文庫(講談社学術文庫)入手で、改めてお勉強です。

 第一部「現代世界」第一章は「生産の問題」。著者はまず、代替不能の自然資産(化石燃料=石炭、石油、天然ガス)の凄い勢いでの使い捨てを警告している。結果、地球は気候変動で危険な状態に陥り、その代替えで原子力を稼働させれば、いつまでも消えぬ放射性廃棄物を抱え込むことになる。そんな「永続性なき経済」が良いワケがなく、新たな「経済学」が必要だと説く。

 豊かさの追求=平和の途~と安易に認識されているが、富んだ国の裏には常に貧しい国・人がいる。ひたすらに富を求める唯物主義の拡大主義は、自己抑制を忘れて「永続性・平和・環境」と折り合えず、その成功=災いになっていると指摘。

 著者は今後の経済学は、人間を環境ぐるみで考える「超経済学」が必要だと訴える。従来は労働=コストで、オートメーション(機械化)でコストゼロを目標にしてきたが、大きな間違いだろう。今後は人間活動に不可欠な財=空気・水・土壌・鉱物などを含めた自然界すべての存在を認識した経済学に変換しなければ先がないと警告しる。

 そこで著者は注目したのが「仏教経済学」。仏教的観点からの労働は、欲望を増長するためではなく、人間性を純化させることと捉えられている。自分の能力を発揮・向上させ、他人と共に働くことで自己中心的な態度を棄て(慈悲心を養う)、仕事を通して人間性、人格を向上させる舞台と捉えている。しいては解脱(悟り)をも得る場と考えられている。

 唯物主義はコスト追及で、勢い輸出輸入も活発化し、国家間の争いも生む。国の繁栄=領土拡大で、産業も企業も規模が巨大化方向で、物流・通信技術の発達、大都市集中、大量失業を生む。だが仏教徒は、地域社会の中での自給自足の暮しを求めている。再生不能財を贅沢に消費するのは暴力行為と考えられると提案する。以上が第一部・五章の要約。

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