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青山二郎⑦骨董弄り [読書・言葉備忘録]

IMG_8190_1.JPG 白洲正子は「青山二郎は骨董を弄る人だった」と記している。特に偽物や新しい焼き物は、自分で味付けすることを愉しんでいたと。ガス台に魚の網をのせて燻す。紅茶液の鍋を煮立たせておいて、その中にジュッと入れてヒビ割れさせる。やすりで削る、爪で金彩の唐草文を適度に剥がす。そんなことを何か月も繰り返して、その味付けを愉しみ自慢した。

 道具を弄って、自分の生理まで解かし込んで行く。高価骨董が中原中也の痰壺になり、今日出海の灰皿になったりするのも、使い込んだ味になるのを愉しんでのとこと推測される。

 茶人ならば茶を点てるのが日常だが、そうでない彼は、そうでもして使い込んだ味を出したかった。「骨董を抱く」なる言葉も、そんな意を含んで骨董は実際に手に入れ、使い込まなければ意味がないと考えたらしい。

 私事だが、小生の母は「江戸千家」のおっ師匠さんで、家には稽古茶碗は幾らもあった。若い時分からの茶道ゆえ、安物稽古茶碗と云えども使い込まれたいい味を持っていたのかもしれない。

 また「別冊太陽」に、彼が器に疵をつけるために使っている「紙やすり」が写っていて、思わず笑ってしまった。と云うのも、あたしは貧乏で骨董趣味もないが、安物文鎮集めによって5、6個の文鎮が机に転がっている。入手当初は、まず塗料を剥がしたり磨きをかけたりして自分好みにするが、その時の「紙やすり」が、彼の写真とまったく同じ絵柄だった。小生が骨董で理解できるのは、その程度~。

 次に400余点も手掛けたという彼の装幀(写真は「別冊太陽」の装幀紹介頁)について。それら装幀を眺めていると、植草甚一を想った。6年前に「世田谷文学館」で「植草甚一スクラップ・ブック展」を観た。氏のコラージュ作品や、絵葉書やマッチ箱の上にガッシュで遊び絵、彩色を施した作品群展示があった。青山二郎も空き箱や文庫本の上に線をひき、色をさし、描き文字を入れて遊んでいた。植草甚一の彩色を施した手紙も有名で、あたしもそんな手紙を1通いただいたことがあったと思い出した。同じ「机上遊び」をしていた。

 青山二郎は自著、友人らの著作表紙。『アンドレ・ジイド全集』、創元社、実業之日本社、宇野千代設立の「スタイル社」、雑誌では「創元」「文学界」「日本映画」なども手掛けていた。概ね骨董陶磁器に通じる渋い色遣い、筆による描き文字、小刀で彫った模様版木使用などが特徴。このシリーズ長くなったので、次回に彼の晩年をザッと辿って終わりにしたい。

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