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島村抱月「諏訪町65」判明 [大久保・戸山ヶ原伝説]

suwa65hakoko.jpg 6月7日ブログで、島村抱月の自宅「諏訪町65」がわからず難儀したと記した。新宿区図書館が7月1日より通常利用再開で、同日に「中央図書館」入館。数分で同番地が確認できた。

 地域史料コーナーで最初に眼に入ったのが「明治44年高田村・戸塚村全図」(人文社)。抱月が薬王寺から「戸塚村諏訪65」の新居に移ったのが明治44年、41歳の時。まさに当時の地図です。

 諏訪神社からちょっと右上「大字諏訪」の「大」の字の横に「65番地」(靑丸)があった。当時から今も変わらずは「諏訪神社」と「亮朝院」だけか。その線上の1/4程の位置。後に「65番地」辺りに「明治通り」が開通(池袋~新田裏の開通は昭和6年)した。

 抱月は「諏訪65番地」から「高田馬場駅」まで歩き、松井須磨子は「大久保駅」(新大久保駅開通は明治45年7月)から電車で高田馬場へ。二人は手をつなぐようにして線路向こうの「戸山ヶ原」へ向かう途中で、市子夫人に捉まった。

 数日を要してもわからぬことが、図書館へ行けば数分で解決。改めて「図書館っていいなぁ」です。貧乏隠居の小生に「マンションを売って大島ロッジで暮せばいいじゃん」と勧める方もいる。ポストには不動産屋の「高価買取り」チラシが日々投げ込まれるも、新宿区に図書館7館もあるってことが「新宿暮し」がやめられぬ最大理由です。

 昨日「国立国際医療センター病院」に設けられた「新宿区新型コロナ検査スポット」に入って行く幾人もの姿を初めて観た。昨日の都内新規感染者124人。拡大の兆し、間違いないだろう。

 抱月は大正4年(1915・45歳)、牛込横寺町に新築の芸術倶楽部に「須磨子との愛の巣」を構えつつ、全国公演の暮らし。文字通り〝密〟の中で暮して、48歳で「スペイン風邪」で亡くなった。

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