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金谷武洋「日本語に主語はいらない」「主語を抹殺した男」 [読書・言葉備忘録]

syugohonn2_1.jpgsyugohonn1_1.jpg 日本語は英語と違って「主語のいらない言語」と主張する書。著者はカナダの日本語教師体験から、日本語の「学校文法」に疑問をいだいた。英語「I love You」は日本語では「愛している」だが、学校文法では主語+述語の構造で、主語や人称代名詞付きで、わざわざ「私は貴方を愛しています」になる。主語はいらないのではないか…

 学校文法は明治30(1897)年に大槻文彦が維新の近代化に、日本語を英語にあてはめて作ったもの。日本語は、主語優勢言語の英語とは成り立ちから違う。昔、伊丹十三がサローヤンの小説を英語の主語、人称代名詞通りに「僕の父は僕の母に、彼女が僕と僕の父を彼女の車で…」と翻訳した例を挙げて、日本語ではそうは言わないだろうと指摘。逆に川端康成「雪国」の「国境の長いトンネルを抜けると、雪国だった」をサイデンステッカーが英訳すると「The trein」と原文にない「主語」や「It」など「仮主語」入りになって、別の意になってしまう点も指摘。併せて助詞「は・が」、自・他動詞など学校文法での無理を次々に指摘。助詞「は」で示されるのは主語ではなく主題。主題は「文を越え、ピリオドを越えて、「は」はスーパー助詞だとも説く。

 文法書ゆえに難しいことが書かれているが、上記が大きなポイントだろう。英語に強引にあてはめて作られた日本語文法の間違いは、すでに1940年代から三上章によって主張されていた。しかし御用学者らに黙殺・抹殺された。三上の辛く厳しかった人生の評伝が「主語を抹殺した男 評伝三上章」。読んでみれば明治の近代化による御用学者らにより「現代仮名遣い」や「当用漢字」などと共通の背景が伺えるが、いかがだろうか・・・。

 しかし今は漢字制限は次々に外され、歴史的仮名遣いもしっかり生き残っている。学校文法の間違いを指摘する流れも次第に大きくなっているそうな。月本洋「日本人の脳に主語はいらない」(講談社選書メチエ刊)など脳学者からの主張(母音・子音系言語と右脳・左脳がテーマ)もあって、この動きにちょっと注目。ついでに記せば「僕は」「私は」連発の「私小説」も主語重視に加担したようにも思えるが・・・。あたしは数十年に亘って流行歌の新曲パンフ(宣材)に惹句(宣伝文)を書く仕事をしてきたが、「私は」という主語を使わずに書き続けてきた。


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