SSブログ

泥舟と鉄舟のお隣同士旧居跡 [幕末維新・三舟他]

nisyuuato3_1.jpg 昨日のこと。中チャリをちょっと乗ってみたく、炎暑をついて小石川・播磨坂まで走った。速度計を付けたら、やはり時速24㎞ほど。小チャリより10㎞早い。

 播磨坂には何度も行った。小石川植物園への道だし、春は桜並木が見事。だが、坂の上に「高橋泥舟・山岡鉄舟の旧居跡」があるとは知らなかった。何事も関心がなければ、何も気付かぬってこと。史跡案内には概ねこう書かれていた。

 下図は高橋泥舟・山岡鉄舟の屋敷。高橋家は享保5年、山岡家は文化8年以降この地に移り住んだと思われる。泥舟は槍術の大家・山岡静山の弟で、母の実家の高橋家を継ぎ、25歳のとき幕府講武所師範となる。鉄舟は剣術を北辰一刀流の千葉道場に通い、槍を静山に習った。鉄舟は旗本小野家の出身だが、泥舟の妹・英子と結婚し、山岡家を継いだ。~中略~ 泥舟は徳川慶喜の身辺警護に当たり、鉄舟は勝海舟の使者として駿府の西郷隆盛に会い、江戸城無血開城の道を開いた。海舟、泥舟、鉄舟を維新の三舟と呼び、維新の重要な役割を担った。そして丁寧にも当時の地図も紹介(写真下)されていた。

 帰りは庚申坂を下って切支丹坂を上り、江戸川橋に出て帰還。多少寄り道して往復10㎞、消費カロリー107.6キロカロリーなり。

nisyuato1_1.jpg


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。