稀少種のコウライアイサ人を呼び [私の探鳥記]
昨日の続き。酒匂川のコウライアイサで鳥撮り3年半、ライフリスト159。鳥撮りと同時に始めたブログは、ページビュー累計約52万。鳥撮りもブログも方向性を見失っている。
酒匂川の土手を駅に戻る途中で、同好の士に声をかけられた。「もう長いんですか」 「いえ、3年半。当初の意欲が失せて、コウライアイサで久々に重い腰が上がりました」 「ふふっ、私も同じだ」 「今じゃライフリストも増えません」 「それでいいんですよ。巡る季節を身近な野鳥と共に愉しむ。身近な鳥でも同じ写真は撮れませんからね」 「ええ、鳥撮りで暮しが豊かになった」 「比して鳥撮りを暮しの中心に据えたマニアックな方々もいる・・・」
なにやら面白い問答になってきた。同年配の士は続ける。「マニアック、つまり夢中になると風流の域を越えて専門的に、一途になる。いきおい視野と心が狭くなってくる」 「あぁ、よく偏屈、狷介なご仁がいます」 「我々は鳥類学者でもプロの写真家でもない。暮しを豊かにしたくて野に出る、野鳥を見て撮って愉しむ」 「ふむふむ」 「片や隠居後の暮しを<鳥撮り中心にした方々>がいる。或いは仕事は現役だが仕事が面白くないか身過ぎ手段に過ぎずで、鳥撮りを暮しの中心に据えた方もいる」 「そうなって来ると鳥を求めて西東、珍しい鳥を求めて各地へ神出鬼没・・・」「もうセミプロの域、一途の道です。そうした方々と、鳥を暮しの風流として愉しんでいる方々との間には見えない一線があります」 「おっと、分かれ道ですよ」 「私は車で沼津まで帰りますが、どちらまで」 「電車で新宿に帰ります」 「お互い好きですねぇ。またどこかでお逢いしましょ」 隠居同士の会話を、雪を被った富士山が嗤っていた。
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