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雲のみね憑かれた夢の置き処 [おくのほそ道]

kumonomine_1.jpg 出羽三山の二つ目の芭蕉句は月山を詠っている。<雲の峰幾つ崩て月の山> 雲の峰が夕日に映え、月山を仰ぎ見れば空に淡い月。こんな月山になるまで、雪の峰は幾つ立ち崩れしただろうの意。

 この句を「甲斐駒」にして私事を詠む。1960年秋、社会党の浅沼稲次郎が日比谷公会堂の演説会壇上で、17歳の右翼少年に刺殺された。同年、17歳のあたしは社会人の某山岳会に入会。大人のなかに少年ひとり。その時にアメ横で買ったジーパンに放出ジャンパー姿で、それが右翼っぽい、17歳、姓も似ているで「オトヤ」と呼ばれた。

 以来、山男の日々。河原の石をリュックに詰めて荷揚げ訓練。寝ずに歩くカモシカ山行。冬季南アルプス縦走中に必死の伝令が来た。ベテラン勢がアタックの甲斐駒北壁で遭難の報。三名凍死。遺体収容は困難を極めた。ベースキャンプの山小屋生活が続いて電報が届いた。「ダイガクニュウガクテツヅキマニアワズゲザンセヨ」。

 春、大学の山岳部に誘われたが断った。北壁で亡くなった先輩からいただいた赤シャツを着て山行を続けた。ザイルワークの沢登りを控えて涸沢にテント。深夜に「逃げろ」の大絶叫。着の身着のまま這い出て尾根際の木に飛び付いた瞬間、テントが土石流に埋まった。

 その時に先輩のシャツを失したことで、なんだかプツンと糸が切れたようで山岳会を辞めた。今も山を、雲の峰を見上げると、そんな若かった山の日々を思い出すことがある。<雲のみね憑かれた夢の置き処>


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