SSブログ

御苑にて満面の笑み福寿草 [おくのほそ道]

fukujyusou1_1[1].jpg 芭蕉は6月15日に酒田から象潟を見るべく、北へ砂浜を歩いた。雨が激しく6里歩いて吹浦に泊。翌日も雨だが女鹿の関所を越え、馬も通れぬ難所を越え、再び砂の道を北上して塩越へ。翌日、舟を浮かべて西行が「きさがたの桜は波にうづもれて花の上こぐあまのつり舟」と詠んだ絶景を堪能した。

 この地は嘉祥3年(850)の大地震で陥没して九十九島、八十八潟が現出して名勝となった。そして文化元年(1804)の大地震で今度は隆起。潟の水が引いて八十八島はただの丘に。芭蕉が訪れたのは元禄2年(1789)。さぞ美しい景色だったのだろう、こう詠んでいる。<象潟や雨に西施がねぶの花> 象潟(きさがた)の雨に煙る景色を見ると、合歓の花が雨に打たれて、あの美人の西施(せいし)が物思わしげに目を閉じたさまとも見えると・・・。「西施」は中国越(えつ)の美人。「歌枕+雨+中国美人+合歓の花」。なんと複雑に凝った句だろう。西行の句が頭にあったか、芭蕉さん力が入り過ぎた。

 これをもじり遊ぶのは至難。「象潟」を近所の新宿御苑に、「ねぶの花」を福寿草にし、人を模して詠む。<御苑にて満面の笑み福寿草> 福寿草はパラポラアンテナ効果で、花芯の温度を高めて虫を誘う。御苑の福寿草は未だ咲いていないので、写真は昨年撮ったもの。あと1週間もすれば咲き出すだろう。


コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。