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織姫も汚れた国に眼をそらし [おくのほそ道]

syoriki2_1.jpg 前句<文月や六日も常の夜には似ず>で「天河(あまのがわ)」が浮かんだのだろう、あの有名句<荒海や佐渡によこたふ天河>が詠まれた。出雲崎で想を得て、直江津でまとめたとされるが、曾良の旅日記には出雲崎滞在の二日間は雨で、天の川は見えない。「流刑の佐渡」と「天の川」を幻視して詠んだ句だろう。名句はかく誕生すると肝に銘じた。

 さぁ、あたしも幻視(嘘)力を磨こう。空を仰げば、あぁ、なんという事よ、空に舞い散った放射能が浮かぶ。今は山野から川へ海へ流れて東京湾河口に沈殿・蓄積されつつある。眼に見えぬ放射能の恐ろしさよ。

 日本はどこで道を間違えたのだろう。東海村の実験炉が臨界に達したのが昭和32年(1957)。街には浜村美智子「バナナボート」、石原裕次郎「錆びたナイフ」、三波春夫「チャンチキおけさ」などが流れていた。それに先立つ昭和31年(1956)1月1日、初代原子力委員長に就任したのが、読売新聞と日本テレビの社長で衆議院議員の正力松太郎だった。正力の事業欲と総理大臣への野望で、安全性より性急に推められた日本の原発行政。政局、そしてCIA絡みの読売グループ挙げたメディア展開・・・。日本の原発は、端から個人の欲がらみで走り出していた。ねっ、読売のナベツネさん。<織姫も汚れた国に眼をそらし>

 有馬哲夫「原発・正力・CIA~機密文書で読む昭和裏面史」(新潮新書、2008年2月刊)が、この辺を詳細レポートしていると知って、さっそく図書館で借りて昨夜読了した。ブログは目下「おくのほそ道」の途上。旅が終わってから、読書備忘録を記しましょうか。はたまたマイカテゴリーに「原発関連本」を設けて読み漁ってみましょうか。


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