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炬燵なく手毎に剥いたミカン消へ [おくのほそ道]

 芭蕉は金沢で「ある草庵にいざなはれて」の詞書で、47句目を詠んだ。<秋涼し手毎(てごと)にむけや瓜茄子> 秋の涼しい風を受けながら、もぎたての瓜や茄子(なすび)をめいめいに皮でもむいて気楽にご馳走になろうの意。瓜はわかるが、茄子は皮をむいただけでは食せぬ。揚げる、煮る、焼く、蒸す、漬けるのいずれかの手間がかかろう。おっと、水茄子は生食OKで、皮をむいて味噌ダレで食べるとか。元禄2年の金沢に水茄子があったのだろうか。

 同句をいじる。う~ん、そうだ、我が家から炬燵が姿を消したのはいつだろう。炬燵があった時分は、炬燵の上に必ずミカンを入れたカゴがあって、テレビを観つつミカンの皮を剥いて頬張ったもの。その炬燵がなくなって、ミカンも消えた。そう記せば、テレビニュースがミカン出荷が10年前の半分に落ちたと報じていた。あたしにミカン業界のPRをお任せ下されば、まずは炬燵復活から始めるがいかがだろうか。かくしてこう詠む。<炬燵なく手毎に剥いたミカン消へ>


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