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鳥撮りは数にかちたる情趣かな [おくのほそ道]

torifuukei_1.jpg 元禄2年8月16日、晴れ。芭蕉は敦賀から有名な「ますほの小貝」を拾ってみたく、舟に乗って「種の浜」(今の「色ヶ浜」)に行った。まずこう詠った。<寂しさや須磨にかちたる浜の秋> 

 須磨は「源氏物語」以来よく語られる寂しい秋の地として名高いが、この浜の情趣は須磨以上であるよ。物語で美化された「須磨」に、物合せの用辞「かちたる」を使って、実景「種の浜」を褒めた。寂しさは「淋しさ」ではなく、しみじみした情趣。

 芭蕉がそこまで褒めた「色ヶ浜」だが、今は眼前に不気味な敦賀原発があって情趣どころじゃなかろう。福井に入って原発云々がくどくなってきたので、ここでは原発から離れる。

 この句のポイントは「かちたる」かな。あたしは隠居して「鳥撮り」を趣味にした。この趣味は、いきおい多種を撮ることに夢中になる。みていると、現役時代に営業ノルマに血祭りをあげたような勢いで鳥撮りに夢中の御仁がいる。鳥撮りポイントに行けば、そこの主のような狷介老人がいる。鳥撮り老人同士のケンカにも出くわす。でかいレンズを持った人が威張っていたりもする。どこか変だな。

 老人の鳥撮り趣味ってぇのは、鳥類学者でもなく、鳥類図鑑を作ろうってワケでもなく、高価でデカいレンズ較べの場でもなく、あくまでも「花鳥風月」を愉しもうって姿勢が本道だと思うが、いかがだろうか。ってことで<鳥撮りは数にかちたる情趣かな>と詠んでみた。写真はトモエガモを撮った見沼の池。あたしの場合は稀少種カモその個体だけではなく、そのカモがいた見知らぬ郊外の、見知らぬ風景の、それぞれの季節の情趣に接する愉しみの方が勝ったりするんだが・・・。


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