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妖艶な白蓮の恋乱れ揺れ(白蓮1) [花と昆虫]

byakuren2_1.jpg 新宿御苑で「白木蓮」の白い妖艶な花が咲き誇り、風に揺れていた。「白木蓮」は中国原産で20㍍に達する高樹。同じ科の「木蓮」は同じく中国原産で暗紅紫色の花。「コブシ」は日本種で高さ8~10㍍。

 先日、大久保の梅屋庄吉夫妻が、大正の世を騒がせた「白蓮」の恋を陰で支えていたと記したので、簡単に説明を・・・。白蓮の本名は柳原燁子(あきこ)。伯爵柳原前光の次女。父の妹・愛子は大正天皇の生母。16歳で北小路子爵に嫁(か)すも、男児を産んで21歳で離婚。27歳で52歳の炭鉱王・伊藤伝右衛門と再婚。豪勢な暮らしと歌集「踏絵」などで筑紫の女王。大正10年、出奔して帝大生・宮崎竜介の許に走った。この時、白蓮36歳、竜介29歳、伝右衛門への絶縁状が新聞に載って、世は大騒ぎになった。

 この恋の陰に大久保の梅屋庄吉がいた。竜介は辛亥革命の仲間・宮崎滔天(とうてん)の息子で、親子共に資金援助し続けてきた縁で、手助けしたらしい。身のまわりのことも人任せだった白蓮を、梅屋の妻トクが別荘で一ヶ月の花嫁修業をさせたとか。(小坂文乃「革命をプロデュースした男」)。 なお、竜介は結核で伏せ、白蓮が筆一本で生活を支えた時期もあったそうだが、後に竜介は弁護士で活躍。池袋の宮崎滔天宅で夫妻仲良く暮らし、戦後は婦人運動、平和運動に尽力した。昭和42年、81歳で没。

 昭和6年に夫婦で中国旅行なる記述。「もしや」と思って、車田譲治「国父孫文と梅屋庄吉」をひもとけば、梅屋の備忘録に中国から帰国して関西滞在中に「昭和6年8月、宮崎竜介・燁子夫婦来る」があった。白蓮の恋は著述業者の絶好ネタ。同時代の長谷川時雨をはじめ、今も多くの作家が書いている。

 永畑道子「恋の華 白蓮事件」を読んだ。新事実を次々に掘り起こし、白蓮の人間象を浮き彫りにして一気読了。読み応えのある本だった。白蓮の略年譜、生母奥津家・柳原家・北小路家・伊藤家・宮崎家の略系図付き。藤原書店2008年刊だが、これは1982年に新評論より刊行された版とか。小坂文乃や車田譲治の梅屋本はまだ世に出ていなかったのだろう、梅屋庄吉への言及は一切なかった。


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