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佐藤邸西班牙犬の家のまゝ(佐藤邸1) [佐藤春夫関連]

satouharuotei_1.jpg 白蓮が暮した宮崎滔天邸から目白通りに戻って、東に走る。椿山荘辺りで左の路地へ。或いはキングレコード・スタジオの反対側の路地を入った所に、写真のユニークな佐藤春夫旧居跡在り。佐藤春夫は昭和2年から終焉の昭和39年までここで暮した。当時の邸(やしき)は昭和60年に生地・和歌山県新宮市に移築・保存。その移築邸をネットで見れば、アーチ状の門と窓、塔、桃茶色の壁。現在の家も旧邸と同コンセプトで建てられていることがわかる。

 当時の邸の様子を知るべく、まずは日本文学全集「佐藤春夫集」の井上靖の解説文より佐藤邸説明文より・・・。「関口町のお宅は朱色の塀の廻った中国風ともスペイン風とも見える、なかなかしゃれた邸宅であった。(略)。暖炉のある洋間の暖炉ぎわに畳が敷かれた小区域があり、主人は客にそこで応接するようになっている。その部屋の調度品は(略)異国趣味、ハイカラ趣味というと厭味に聞こえるが、それは氏一流の気難しい鑑定を経たものばかりで、(略)洗練された調和を作り上げていた。(略)。短編の傑作「西班牙犬(スペインいぬ)の家」の作者の応接間なのである」

 川本三郎「大正幻影」には西脇順三郎が記した佐藤邸の文が紹介されている。「目白台に南欧風のすばらしい家をたて、三田山上(慶応大)にあった文学部の課業をやったヴィカス・ホールの壁をおおっていた黄赤色の『のうぜんかずら』を家にはわせ、巴里のマロニエを前庭に植えたり、日時計や噴水を作った。家は伊太利の田舎によくみられるような濃い桃色にぬられていた」。(佐藤春夫は永井荷風が亡くなった時に、庭のマロニエの花を手向けている)

 川本三郎「大正幻影」には・・・「『更生記』のなかに、避雷針のある八角形の屋根のある洋館が出てくるが、この家は、大正十四年以来、佐藤春夫が住んだ小石川区音羽町(現在の文京区関口町)の家をモデルにしている」なる文があるが、これは大きな間違い。大正14年から住んだのは音羽通りから小日向台に向かう小石川区音羽町9丁目18番地。その家のことは随筆「吾が新居の事」(佐藤春夫全集・第十一巻)に書かれている。そして昭和2年から住んだのが写真の旧邸跡で、音羽通りより目白台の地で住所は文京区関口町。東京散歩の達人とは思えぬ間違い。

 それはさておき、このユニークな建物を見ていると、佐藤春夫は何故にかくなる家を建てたのだろうかと考え込んでしまった。(続く)


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