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伊作邸から生まれた春夫作品(佐藤邸7) [佐藤春夫関連]

isakuhon1_1.jpg 「西村記念館」見学を終えて熊野速玉大社へ行くと、そこに明治2年築・昭和60年移築の佐藤春夫邸がある。ここでは加藤百合著「大正の夢の設計家~西村伊作と文化学院」より、佐藤春夫の小説がいかに伊作からインスパイアーされたかの記述を拾ってみる。著者はそもそも佐藤春夫「田園の憂鬱」を調べる過程で西村伊作を知った、と「あとがき」で書いてい、佐藤作品もよく分析している。

 まず、こう断言する。「佐藤春夫の初期作品に、建築家・伊作の影は無視できないほど大きい。伊作から知識を得、また着想を得ることなくして、作家・佐藤春夫の開花はなかった」。

 「西班牙犬の家」の「入口は家全體のつり合ひから考へてひどく贅澤にも立派な階段が丁度四級(段?)もついて居るのであった」は、これまさに伊作邸玄関だと指摘。洋館が少ない時代に、いくつもの小説にそんな家を設計する男が登場している。これは西村伊作の姿、及び彼の建築関連書などのディテールが参考になったに違いないとも記す。

 佐藤の初期代表作「美しい町」もまた、伊作が大正8年に西村家の遺産を相続して「小田原に二千坪の購入して芸術家が住む田園都市を作る」と熱く語る伊作からヒントを得たのだろうと記す。伊作は実際に谷崎潤一郎や北原白秋らと土地探しをしている。ちなみに谷崎は小田原時代に妻の妹・せい子に夢中で、妻・千代子を冷遇。見かねた佐藤春夫が夫人をもらうと約束。そう決まってから手放すのが惜しくなって潤一郎が「離婚中止宣言」。これに佐藤が激怒して谷崎と絶交。この騒動がかの「小田原事件」。

 佐藤春夫は、そんな悶着の中で、伊作の「田園計画」を、夢想家三人の「美しい町」に仕上げた。夢が現実化することより夢想を純化させて「夢想家である自分が芸術家として如何に現実の中で生きたらよいか」という姿勢を探った作品。佐藤春夫にとって、谷崎の妻・千代子もまた夢想で純化されたきらいがないでもなかろう・・・とはあたしの推測。夢想家・佐藤に比して、西村伊作は夢の実現に積極的に動くが、これが「文化学院」創立にすり替わって具現する。夢想家(小説家)と現実を生きる両者比較に絶好のテーマ。

 また加藤百合は佐藤の「F・O・U」は、諸資料から伊作の弟・七分の実話そっくりで、聞いた話をそのまま書いたのではないかと記す。同小説を読めば、佐藤春夫邸設計の大石七分の天真爛漫かつ自由な天使のような人柄が浮かんできて、移築された佐藤邸、現在のちょっと妙な佐藤邸も彼ならではと思えてくる。どうやら結論が見えてきたようです。(続く)


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