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佐藤春夫邸の謎、その答はFOU(佐藤邸9) [佐藤春夫関連]

satoutei5_1.jpg 前回、佐藤春夫邸の設計者・大石七分の横顔を探ってみた。七分は関東大震災のすぐ後にフランスから帰国して、兄・伊作が借りた麹町の家に落ち着いた。この時期に、佐藤春夫は七分からフランス滞在談をたっぷり聞き、その話を「F・O・U」(大正15年発表)に仕上げた。翌年11月に目白台に七分設計・佐藤春夫邸が完成ゆえ、二人は何度も逢って話し合っていたと思われる。井上靖は「端倪すべからざる氏の才筆。いま読んでもみても新しい。氏は一度もパリには行っていないが、幻想が幻想として、それなりに定着して、現実感を持って迫ってくることは驚くべきことである」と同作を激賞しているが、これは七分の実話がベースにあったワケで、その評価の半分は七分に向けたくなってくる。

 その「F・O・U」を要約する。舞台はパリ。マキ(七分)がレストランから出ると、自分のシトレインのそばに美しいロオルス・ロイスがあった。乗ってみたい。マキはハンドルを握るとコンコルド広場からボア・ド・ブウロニュへ走った。ここで悪ガキが言う。「この車は君のかね」「いや、おれの車の横にあったから、ちょっと乗ってみたかったんだ」「持ち主に返した方がよさそうだね」「おれもそう思う」。

 ロオルス・ロイスの持ち主は、車から降りる彼の笑顔に何事もなかったように走り去った。近藤富枝「本郷菊富士ホテル」に掲載された七分の写真から、彼の天使のような笑顔が浮かんでくる。車は走り去ったが、彼は警官に腕を掴まれ、署に連行された。「あなたに知り合いのフランス人がいますか」に、彼はフロオランスの名をあげた。彼女が来て「わたしの可愛いマキ」と微笑む。そして署長にそっと指で「Fou」(狂人)と書いて見せる。マキは問われて、自身のことを語る。「私の一家は、きっと日本に客で来ているらしく(兄・伊作も日本人離れした風貌をしている)、日本政府から嫌われて、私の叔父は殺されてしまった(大逆事件で叔父・大石誠之介が刑死)。それで兄にフランスに行こうと言ったが、わたしだけがこの国にきた」

 かくして13日間、精神病院暮し。退院後にマキとフロオランスの甘い同棲生活が始まった。マキは日本に残した妻(いそ)と子(窓九)の写真を見せる。「まぁ、可愛い。わたしたちの子にしましょう」。マキは妻に手紙を書く。「今、シャトーを持つフランス女性と同棲している。子供の母親になりたいと言うから、お前がこっちに来れば乳母になります。兄貴にお金を送ってくるように言って下さい」。無邪気が残酷な手紙になる。これを読んだ兄(伊作)は「また病気が始まったようだ」と弟の妻を慰める。

 話が長くなりそうなので、結末だけ記す。最後はマキが描いた31枚のフロオランス、仙女の絵の<遺作>展が開催されるところでEND。天使のように純真無垢な夢想家は、現実に生きる者には時に残酷になり、遺せるのは作品と甘美な死。佐藤春夫はそんな事を書きたかったのだろう。文化学院を創立した伊作に比し、デキはわるいが弟・七分に通じる自分を見たか。そんな七分が設計した佐藤邸。現在の現実離れしたユニークな佐藤邸もまた七分設計だろうと勝手に納得。その現実離れの謎の答えは・・・「F・O・U」。

 これにて、佐藤邸シリーズ終わり。最後に参考にした本は以下です。川本三郎「大正幻影」、佐藤春夫「小説永井荷風伝」、日本文学全集「佐藤春夫集」(集英社版と新潮社版)、「佐藤春夫全集」第11巻、加藤百合「大正の夢の設計~西村伊作と文化学院」、黒川創「きれいな風貌~西村伊作伝」、「愉快な家~西村伊作の建築」、近藤富枝「文壇資料 本郷菊富士ホテル」、「ドキュメント日本人2~悲劇の先駆者」収録の西村伊作「我に益あり」、芳賀善次郎「新宿の散歩道」、野田宇太郎「改稿東京文学散歩」、新宿区「新宿文化絵図」など。


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