SSブログ

瀬戸内晴美「遠い声」 [佐藤春夫関連]

kannosuga1_1.jpg 「大逆事件」の大石誠之助をテーマに、少女コミックのようなフィクションを重ねてワルツでも踊っているかのように辻原登は「許されざる者」を書いた。しかも事件が起こる前に大石誠之助を渡米させて小説を終えた。比して瀬戸内晴美「遠い声」は、大石と同じく刑死の管野スガを、獄中の彼女の脂汗、冷汗、体液をも舐めとるように彼女になり切って、絞首刑執行まで寄り添って描いていた。瀬戸内晴美48歳、昭和45年発表作。

 「まだ夜は明けない。重苦しい目覚め。今日もまた生きていた。いつまでか・・・」。書き出しは入獄して8ヶ月。明治44年1月24日。数え年31。最後の日のモノローグ構成。この日、11名が処刑され、管野スガの処刑だけが明日にのびていた。

 5歳の時の母の思い出、容貌コンプレックス。とりとめもない回想。16歳、継母が仕込んだ強姦。17歳で継母の許を離れたくて東京・深川の商家に嫁ぐ。夫と姑が通じていた。飛び出して大阪の宇田川文海(35歳上)と暮らして文章修業。京都で新聞記者になった。取材先の立命館・館長の中川小十郎と関係し、異母兄とも情交。泥沼から逃げ出すように紀州・田辺の「牟婁(むろ)新報」へ就職。主筆・毛利紫庵の入獄中に編集主任となって6歳下・荒畑寒村と同紙を預かる。この地で大石誠之助と出逢う。新宮の遊郭設置問題に切り込んだ寒村を、紀州から身を引かせるべく説得しつつ寒村の若い性を貪る。その後に「六大新報」主筆で僧侶の清滝智竜と深間になるも彼の執着、そして紫庵が「牟婁新聞」に戻ってきたことで、逃げるように京都へ帰る。京に呼んだ寒村とたっぷり情を交わした後に、二人は新宿柏木に所帯を持った。寒村は赤旗事件で千葉監獄へ。その間に幸徳秋水の「自由思想」発行の情熱の惹かれて一緒に暮しだす。同紙罰金が重なって換金刑で入獄。

 ここで「寒村自伝」より管野評一部を紹介。・・・彼女は私に六歳の年長で、色こそ白かったがいわゆる磐台面(ばんだいづら)で鼻は低く、どうひいき目に見ても美人というには遠かったが、それにもかかわらず身辺つねに一種の艶治(えんや)な色気を漂わせていた。後日、久津見蕨村が「管野という女はちっとも美人じゃないのだが、それでいてどこかに男をトロリとさせるような魅力をもっている」といったように、実に不思議な魔力をもっていたらしい。

 換金刑で入獄の1週間後に「大逆事件」が発覚。彼女は予期せず「大逆事件」重要犯になった。事件にかかわったのは宮下太吉、新村忠雄、古川力作、幸徳秋水、管野スガ。子供だましのような計画だったが、これに検察が待っていましたとばかりに飛びついて全国の社会主義や無政府主義者ら数百人を一斉検挙。24名を強引に「第73条」に結び付けて死刑判決。無関係の人々を死刑、無期に巻き込んで、彼女は個人的なめめしい感傷ではなく、事件の真相を書き遺さねばと二冊目になった獄中日記「死出の道艸」を書き始めた。

 その書き出しは「死刑の宣告を受けし今日より絞首台に上る前まで己を飾らず偽らず自ら欺かず極めて率直に記し置かんとするものなれ」。彼女はここで事件の真相と、同志を救えなかった悔しさと権力への走狗となる検事や判事たちを糾弾。社会主義者や無政府主義者の一斉検挙から24名の死刑判決。12名を処刑した後に、陛下の思召しで12名を無期懲役のシナリオを描いたのは山縣有朋、平沼騏一郎か・・・。ちなみに天皇を現人神(あらひとがみ)とした第七十三条は「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太子孫ニ対シ危害ヲ加へントシタル者ハ死刑ニ処ス」。

 読むのも辛いズシリと重い「遠い声」。実は瀬戸内晴美(寂聴)を読むのは初めてで敬服した。「私も正義感が強いから、これは世のため人のためと思うと命なんか要らないんですね。そういう馬鹿なところがある。管野須賀子も伊藤野枝(大杉栄と共に虐殺された)にしたって非常に単純な女で、しかも情熱があり余っていたんですよ。私はその情熱に感じるものがある。彼女は決して魔女でも妖婦でもなくて、あの時代に一生懸命に生きた結果があの事件につながった立派なひとでした」とどこかで語っていた。瀬戸内晴美は「遠い声」の前に伊藤野枝の生涯を描く長編伝記小説「美は乱調にあり」と「諧調は偽りなり」を書いている。

 写真は代々木(西新宿・甲州街道を西参道へ左折する角)の正春寺の管野スガ慰霊碑。「くろかねの窓にさしいる日の影の移るを守りけふも暮しぬ」(幽月女史獄中作)が刻まれている。裏には「革命の先駆者 管野スガここにねむる」と「大逆事件の真相を明らかにする会」建立と記されていた。誰が手向けたか、赤いスイートピー。


コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。