SSブログ

小島キヨ(2)「南天堂」ケンカの華か [読書・言葉備忘録]

kojimakiyo_1.jpg 小島キヨはモデルの後に、茅場町の酒屋・升本の事務員になった。呑み放題。後の異名「うわばみのキヨ」の下地をつくった。一方、辻潤は放浪に区切りをつけ、母と子を連れて川崎に一家を構えた。

 大正11年、キヨは月島の労働会館(裏長屋の二階ぶちぬき)で開催の辻潤の講演会に出席。その夜、二人は早くも手をつないで築地のそば屋で酒を酌み交わす。束の間の蜜月。キヨは広島の実家で二人の子・秋生を出産。辻潤は広島へ行く途中の大阪で「野枝・大杉栄虐殺さる」の号外を手にして酒に溺れ、女狂いを始める。蒲田の撮影所裏の長屋に移転するも、おかしな輩が押し掛ける「カマタホテル」となって生活破綻。酒と女狂いの辻潤が生活費を稼ぐわけもなく、キヨも子を潤の母に預けて女給。酒狂い。★写真は倉橋健一著「辻潤への愛」(創樹社刊)

 大杉・野枝が虐殺されて、行き場を失ったアナーキストらが鬱憤を晴らしていた場が白山坂の「南天堂」二階レストランだった。“南天堂”は林芙美子、平林たい子、大杉栄、辻潤らの関連書にたびたび登場。その「南天堂書房」が今もあるから驚いてしまう。

 小生は長い間、田端にある印刷屋に仕事を出していて、都心から白山通り~白山坂を経て田端へバイク疾駆10年余。「南天堂」前は慣れ親しんだ移動中の景色。(Googleのマップに「文京区駒込1-1-28南天堂書房」と打ち込んでズームアップ。写真モードにすると店舗が写っています)

 手許の数冊より「南天堂」をひもといてみる。経営者は松岡虎王麿(トラオウマロ)が大杉栄と付き合っていたことから、二階レストランはアナーキスト、ダダイスト「南天度グループ」の溜まり場になった。出入りした女性は林芙美子、平林たい子、伊藤野枝、そして小島キヨら。

 林芙美子はテーブルの上にひっくり返って「さぁ、どうともしてくれ」と啖呵を切り、ここで知り合った友谷静栄と詩の同人誌「二人」を出した。静栄は南天堂メンバーの岡本潤から小野十三郎と同棲。玉川信明著「ダダイスト辻潤」には「ハレンチ南天堂時代」の項あり。店ではケンカが絶えず、男女の関係もアナーキーだった。(川本三郎)

 小島キヨもあっちこっちで酔っ払っては「南天堂」に顔を出す。行けば常に誰かがケンカをしていた。ケンカっ早いのは宮崎資夫(すけお)。「うわばみのキヨ」はさしずめ修羅場の華か。おっと、近くの図書館に「南天堂」なる書あり。さっそく読んでみた。(続く)


コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。