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小島キヨ(3)寺島珠雄著「南天堂」 [読書・言葉備忘録]

nantendo1_1.jpg 読書は楽し。なんと、白山坂「南天堂」の歴史を探った本があった。著者は寺島珠雄。皓星社、1999年刊。表紙カバー折り返しに、こうある。・・・大正六年、本郷白山上に開業。一階は書店、二階はカフェー・レストラン。集いし客は(多いので抜粋)大杉栄、和田久太郎。労働運動社、北風会の闘志。岡本潤、壺井繁治、小野十三郎ら詩誌「赤と黒」同人。辻潤、宮崎資夫、中西悟堂、今東光、高見順、菊田一夫、友谷静枝、林芙美子、平林たい子・・・。そこは、夜毎アナキスト、ダダ詩人らが喧噪する酒場であり、時に前衛美術家の展覧会場となり、また「近代名著文庫」や文芸誌「ダムダム」を発行する出版部があり。「南天堂時代」と呼ばれる、伝説の階上喫茶店考。人々とその時代を点綴しつつ、店主・松岡虎王麿の生涯を辿る。

 自転車は楽し。昨日の涼しい午前中に白山坂辺りをポタリングして、改めて界隈の土地勘も得た。同書は460余頁ゆえ、ここでは小島キヨ関連記述のみをピックアップする。小島キヨの物語は、そもそもは大正3年に松岡家(旧南天堂)に間借りして無政府主義の研究会をやっていた渡辺政太郎が、大杉を伴って辻・野枝の家を訪ねたことから始まる。そして大正5年、野枝は夫・辻潤と二人の子を置いて大杉栄の許に走った。翌6年、二階にカフェーレストランを有す「南天堂書房」開業。

 当初の「南天堂」カフェは、アナーキストらの乱酔の呈はなく、パリによくある書店二階カフェの文化色漂う良き雰囲気だったそうな。後に「日本野鳥の会」の中西悟堂も同カフェで処女詩集「東京市」(大正11年)の出版祝いをしたとか。あの新内の岡本文弥も、虎王麿の2歳下で渡辺政太郎の研究会と南天堂に顔を出していたとか。

nantenmise2_1.jpg そして大正12年9月1日の関東大震災。亀戸で<主義者>多数が官憲に殺害され、大杉栄・野枝も虐殺された。アナーキストやダダイストらは行き場を失って、「南天堂」が苛立ち、鬱憤を吐く場になった。夜毎、乱酔でケンカの絶えぬ日々になる。同書「南天堂」には、すでに紹介の倉橋健一著「辻潤への愛」より、夜毎の酒から酒で最後に「南天堂」のケンカで終わる小島キヨの日記文が転載されていた。

 林芙美子は最初の男・田辺若男に連れられて「南天堂」デビュー。彼と別れた後にせっせと「南天堂」通いした。大正13年、ここで知り合った友谷静栄と詩誌「二人」を刊。南天堂で辻潤に「とてもいいものを出しましたね。お続けなさい」と励まされている。オーナー・松岡は「林芙美子は大酒飲みでね、でも誰かしらが金を払ってくれるんだ。“五十銭くれ、キス一回させてやるから”とよく騒いでいた」。彼女はテーブルの上にひっくり返って「さぁ、どうにでもしてくれ」と啖呵を切っていたのはこの頃か。平林たい子も山本虎三、高見沢路直(田河水泡)、岡田龍夫と男遍歴しつつ、やがて自伝小説「砂漠の花」に「みんなひと晩だって、エトワール(南天堂の仮名)に行かなくちゃ寝られないんだから~」と書くようになる。それから数年後、「南天堂」の狂乱喧噪の波は次第に引いて行った。★下写真の真ん中の店舗が現在の「南天堂書房」。★当時は白山通りも本郷通りも、この白山坂(まき町通り)も市電が走っていた。


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