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長辻象平『江戸釣魚大全』 [読書・言葉備忘録]

edoturi1_1.jpg 新宿図書館で読みたい郷土資料を探していたら、夢枕獏『大江戸釣客伝』の参考文献筆頭に挙げられていた同書(平凡社、1996年刊)を見つけた。第一章が夢枕獏の同小説テーマと同じ<釣り旗本 津軽采女の『何羨録』>。

 著者は冒頭で1653年のアイザック・ウィルトン『釣魚大全』を紹介し、これにまさるとも劣らぬのが、その70年後の1723年に津軽采女(うねめ)による手書き三巻『何羨録』(かせんろく)だと書き出している。

 同書に分散の采女プロフィールをまとめてみる。津軽采女政兕(まさたけ)は、寛文七年(1667)江戸生まれ。陸奥弘前の大名・津軽家の分家。天和三年に父が三十五歳で他界し、十六歳で家督(三代目)を継ぐ。四千石だが不遇にも御家人・小普請組。暇ゆえに始めた釣りにのめり込んだ。貞享四年(1687)に吉良上野介の次女「あぐり」を迎えるが、若妻は翌年に病死。吉良の推しで元禄三年(1690)、二十三歳で「桐の間番」に登用され、翌年に小姓に出世。

 しかし一年半後に殿中で左足負傷。何故かは書かれていないが、夢枕獏は小説で綱吉の悪夢乱心ゆえとした。元禄六年(1693)に小姓を辞退し、その一週間後に綱吉「釣りと釣り船の禁止令」。采女は拝領の丸の内屋敷返上で、本所三ツ目通りに転居。屋敷北側が「堅川(たてかわ)」。ここから両国橋でも中川経由でも江戸湾に出られるが、じっと我慢で『何羨録』を著した。

 彼はなぜここまで釣りにのめり込んだか・・・。筆者は彼の不幸、悲しみ続きを挙げている。四人兄弟全員が短命。新妻「あぐり」を一年ほどで亡くし、後妻と九人の子を設けるも次々に他界。生涯に五回の火災にも遭った。寛保三年(1743)に七十五歳で没。

 筆者は江戸の釣りブームを第一期・元禄以前(~1687)、第二期・享保(1716~)、第三期・天明から幕末(1781~)と分類。津軽采女は元禄以前期に釣技を育み、享保期に『何羨録』を著した。

 過日読んだ飯島耕一<『虚栗』の時代>は天和元年から数年に芭蕉、其角らが台頭し、井原西鶴の『好色一代男』なども出て、わが国の「詩と小説が同時期に盛り上がった黄金期」と書いていたが、釣りもまた江戸最初のブームで盛り上がっていた。同時期に赤穂浪士の討ち入り、八百屋お七の大火、綱吉の生類憐みの令、西では「おさん・茂兵衛」の密通。夢枕獏でなくとも小説を書きたくなるシシュエーションが揃っていた。

 同書はここから『何羨録』を軸に当時の釣り人気分析、その釣り場、釣竿、錘、釣鉤、天気を読む気象法などについて豊富な資料をひもときつつ調べ書いている。其角の釣り句<ほのぼのと朝飯匂ふ根釣りかな>も紹介。根釣りポイントについて、舟の竃で火をたく朝食の匂いってこと。そして『何羨録』以後の釣り書も次々紹介の労作でした。

 万延元年(1860)には入場料を払っての釣り堀があったの記録、その絵には驚いた。あたしも一時期、へら鮒・箱師(釣り堀)だった時期がある。


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