SSブログ

北区の軍事遺跡(1)造兵廠本部 [新宿発ポタリング]

zouheisyo1_1.jpg 新宿から久し振りに北、城北方面にペタルをこいだ。池袋を経て板橋。鴨が飛来の石神井川沿いに新撰組隊長・近藤勇の菩提寺・寿徳寺があった。ここから北区十条台に出た。「おや、こんな所にかくも広大な公園があったとは・・・」。武蔵野にも似た長閑な林。周囲風景と地図を見較べた。ここは北区中央公園。隣接して野球場やテニスコート。東京都障害者総合スポーツセンター、陸上自衛隊十条駐屯地、成徳短期大学・・・。その一画に写真の建物。初冬の澄み切った青空に白亜がそびえていた。「北区中央公園文化センター」。

 三島由紀夫が割腹した、あの市ヶ谷・旧参謀本部に似ているも、玄関や窓がアーチ型で比して優美なり。建物に入れば、なんと昭和5年(1930)建築の「東京第一陸軍造兵廠本部」だったと記されていた。戦後はこの一帯は米軍に接収されて「王子キャンプ」。ここは茶色から白亜に塗り直されて情報局、測量部隊が入ったか? 詳細は分からぬが朝鮮戦争からベトナム戦争(野戦病院にもなった)を経て返還された。

douheisyo2_1_1.jpg 眼を閉じると、幼かった頃に近所の家前で散った桜の花びらを、姉と共に無心に針で刺し連ねていると、ジープに乗った米兵が覗き込んで来たのを思い出した。「あぁ、あの時の米兵らは・・・」と思った。

 返還されたのは昭和46年(1971)で、5年後の昭和51年に北区中央公園として開園。今は生涯学習のホール、教室などに使われている。

 父が通信兵だった頃の野戦訓練の休憩時の、セピア色に変色した写真を見たことがある。その後は戦地に行かず造兵廠勤めだったと聞いた。生家から徒歩圏内。父は戦時中はこの辺りに通っていたのだろうか。あたしは、この建物を前にして動けなくなってしまった。 


コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。